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エジプトの旅    ギザ

ピラミッドの町・ギザ
 エジプト文明はナイル川によって生み出され育てられました。紀元前3000年頃、エジプトに初めて統一王朝が誕生し、次第に国家としての体裁が整えられていったのです。紀元前2650年頃、ジェセル王が階段ピラミッド造営し、紀元前2600年頃、スネフェル王がヌビア、リビア、シナイに遠征隊派遣しました。
 紀元前2550年以後、クフ王、カフラー王、メンカウラー王がギザに3大ピラミッドをつくったのでした。ギザはカイロの南西、約13kmにあります。この3つのピラミットを回るだけで、1km四方にもなります。
 エジプトの象徴であるピラミッドは長い間、何の目的で造られたのか謎でした。天文台説、堤防説などのほか、最も有力だったのが王墓説でした。これは紀元前5世紀に歴史家ヘロドトスが書いた本が基本になっています。
 彼は現地の人々の意見を聞いてまとめたようですが2000年も前のことを聞いているわけですからあまり説得力がありません。1837年発見された落書きにはクフ王を賞賛する内容のものが出てきています。
 早稲田大学の吉村作治先生などが唱える失業対策説なども説得力があるように思えます。これはナイル川が氾濫する季節に働くことができない人のため仕事を提供したとする説です。

 手前からメンカウラー王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、奧がクフ王の大ピラミッドです。カフラー王の方がクフ王のものより大きく見えますが大きさ的にはクフ王の方が大きいです。互いに太陽を遮らないように設計されています。



クフ王の大ピラミッド
 最大の規模を誇るので大ピラミッドとかギザの第一ピラミッドと呼ばれています。ギザにある他の2基のピラミッド同様、今から約4500年前に建てられたものです。
 クフ王のピラミッドは建造当初は146mありましたが、現在は頂上部分が崩壊していたり、風化などによって137mになっています。本来の頂上を示すために頂上に9mの鉄棒が立ててあります。
 ピラミッドは一辺が230m、1個の平均した重さ2.5トンの石灰岩のブロックが230万個、使われているそうです。基部では高さが2m位、横はその倍くらいの直方体の大きさの石が使われ、上部になるほど小さくするという方法で積まれています。
 1798年に進駐したナポレオンはギザにある3基のピラミッドすべての石材を使えば、フランス全土を囲む高さ3.7メートル、厚さ30センチメートルの壁を築くことができるだろうと計算したそうです。
 クフ王は、紀元前26世紀、古代エジプト・古王国時代のファラオ(王)で、カフラ王ーの父になります。ギリシア語ではケオプスと称されます。エジプト考古学博物館にはクフ王の唯一の像、象牙製の7.5cmの小さな像が残されています。
 ヘロドトスによれば、国民の苦しみも顧みずに大規模な土木事業を繰り返した暴君と記されていますが、ナイル川の氾濫で一時的に職を失った国民のための失業対策であったという説が有力になっています。
 20年以上の長期にわたって造り続け、この大事業が代々繰り返されたことで、国力は弱体化し、古王国時代は終焉を迎えることとなった事は事実のようです。



メンカウラー王のピラミッド
 ギザにある3基の大ピラミッドの中でも、もっとも小さいのが、カフラー王の息子メンカウラー王のピラミッドです。ギザの第三ピラミッドと呼ばれ、他の2基と比較して高さが半分以下と、最も小規模のピラミッドです。
 左がメンカウラー王のピラミッドです。高さ65.5m、創建時は70mあったそうです。
 南側には王妃の墓3基があります。底辺約108.5mは勾配51度20分という規模です。財政逼迫説、メンカウラー王人格者説、そして彫像の作りすぎによる建造費用の払底説など小さくせざるを得なかった理由が論議されています。
 歴史家ヘロドトスは推論しています。メンカウラー王は古王国時代において最良の政治をし、前代までのピラミッド建造にともなう強制労働などの辛苦を是認できず、自分用のピラミッドの規模を削減するか、廃止しようと考えていたというのです。



カフラー王のピラミッド・コンプレックス
 クフ王の息子カフラー王のピラミッドはギザの第二ピラミッドと呼ばれ、クフ王のピラミッドの南西に位置しています。
 高さは143mで、クフ王より3m低く、ピラミッド自体の大きさは二番目ですが、クフ王のピラミッドより高い台地に建設されているため、一番大きく見えます。
 カフラー王のピラミッドは、頂上部分に白い石灰岩の化粧石が残っていて、帽子をかぶったような格好をしているのが特徴です。
 本来、ピラミッドは四角錐の石組みだけで造られていたのではなく周辺にいろいろな建物が付随していました。これをピラミッド・コンプレックス(複合体)といいます。
 コンプレックスの主な建物は、スフィンクスやスフィンクス神殿、ピラミッドと葬祭殿、葬祭殿から延びる参道、その先の河岸神殿、それらを取り巻く壁などです。
 クフ王の後は長男ジェドエフラー王が王位を継承しました。彼はアブ・ロアシュという場所にピラミッドを作ろうとしましたが短命のため未完に終わりました。
 その後を継いだのが次男のカフラー王でした。王はギザにある父のピラミッドの近くに自分のピラミッドを造ったのです。このピラミッドは父クフ王のものとは違い、ピラミッドそのものに内部構造物はありません。



スフィンクス
 河岸神殿の北側には、世界的に有名なスフィンクス像とスフィンクス神殿があります。スフィンクスは、カフラー王のピラミッドの守護神として造られ、その顔もカフラー王を模したものといわれています。 カフラー王のピラミッドと河岸神殿
 スフィンクスは人間の頭、ライオンの体をしていて、高さ20m、全長57mあります。古代エジプトでたくさんつくられたスフィンクスのなかでも、このスフィンクスは最大最古のものだそうです。
  アラブ人の侵入後、鼻が削られてしまいました。もっとひどいのは古代のエジプト王の象徴とされている付け髭がイギリスによって持って行かれてしまったことです。現在大英博物館に所蔵されているということです。
 ここにあるスフィンクスは、この地にもともとあった石灰岩の岩山を彫り抜いて造られたようです。ピラミッドを築くのに使う石材を採取した岩山の残りだともいわれています。
 スフィンクスの本当の名称は「ラー・ホルアクティ」というそうです。ラー・ホルアクティ神は太陽信仰に関わる神だそうです。
 古王国時代から首都のメンフィスで信仰されていた「ホル・エム・アケト(地平線のホルス)」という王権を象徴する神ホルスが太陽神ラーと習合し、それがなまってラー・ホルアクティと呼ばれるようになったそうです。
 18世紀の末にナポレオンがエジプトに遠征してきた時、このスフィンクスは殆どが砂に埋もれて首から上しか見えなかったそうです。現在は世界の叡知を集めて崩壊対策が検討されています。



ランチタイム
 エジプトといえば鳩料理が有名です。トルコでもそうでしたが家の中に鳩が飼われていて姿のまま煮込んでいるのです。私には強烈すぎて食べないようにしていましたが最後の日知らないうちに胃袋に入っていました。
 ハメームと呼ばれる鳩をそのままグリルしたものは見ただけで遠慮したくなります。いかめしのように丸の鳩の中に米や麦を詰めたものは抵抗感はありませんでした。

 エジプトではお札が汚いので驚きました。新札などはまずお目にかかれません。トイレに紙がないときに使う人がいると聞いたときから特に神経質になりました。
一部「エジプトの風景写真」の写真の一部を加工して掲載させて頂いております。


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