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ハワイの旅    オワフ島

 ハワイ諸島がキャプテン・クックによって世界に紹介されたのは1778年でした。当時、ハワイは4人の大酋長によって支配されていました。ハワイ島の酋長カラニオプウを叔父にもったカメハメハが最大の勢力を誇っていました。彼はクックの来航を心から歓待し、カラニオプウの跡を継ぎ、1795年にハワイ全島を統一しました。
  20世紀に入り王朝時代が終わるとハオレ(白人)が先駆者となり観光開発が始まりました。1901年には"ワイキキのファースト・レディ"と呼ばれるモアナ・ホテル(現・シェラトン・モアナ・サーフライダー)がワイキキ初の本格ホテルとしてオープンしました。
 1920年以降には、アメリカの軍需景気にのってハワイ人気が高まり、積極的な観光開発に乗り出し始めました。そして1959年、ハワイはアメリカの50番目の州となりました。
 アメリカ本土から飛行機が就航してますますリゾート地として発展していきました。1964年には日本人の海外渡航が自由化されたことで日本からの観光客も入ってくるようになりました。 オアフ島は最も身近な海外リゾート地として人々に親しまれ愛され続けています。 



ワイキキ・ビーチ
Waikiki Beach
 ハワイを訪れる人々は必ずワイキキビーチを訪れます。周辺に広がるリゾートという名の高層ビル街は観光ハワイのシンボルなのです。先住民の言語で、「wai」は水を意味し、「kiki」は湧き出るところを意味しました。ワイキキは、いくつもの沼地からなる湿地帯だったのです。
 白砂の向こうに標高232mのダイヤモンドヘッドが見えています。近代的な高層ホテルが林立する南国ムードあふれる常夏の楽園です。
 ワイキキビーチはカピオラ公園前からヒルトン・ラグーンあたりまでの4kmもの三日月型の美しいビーチです。アメリカ映画や音楽で憧れの的になっていたビーチです。
 ワイキキビーチは厳密にはサンスーシー、クイーンズ・サーフ、カピオラニ・ビーチパーク、ワイキキ(クヒオ・ビーチパーク)、グレイズ、フォート・デ・ルーシー、デューク・カハナモクと呼ばれている各ビーチの総称になっています。



ヌアヌ・パリ
Nuuanu Pali
 ハワイ語で「ヌウアヌ」とは「涼しい高台」を意味し、パリは「崖」。つまり、ヌウアヌ・パリとは「涼しい崖」というような意味で、展望台からカネオヘ湾やカイルアの街を一望できる崖の上に設けられてあるのです。
 高台とはいえ、ちょうど雄大なコオラウ山脈の切れ目になっているため、付近は風の通り道で、強風の名所としても知られています
 ヌアヌ・パリの展望台からはカネオ湾が見渡せます。1795年、カメハメハ大王統一戦争の最後の決戦地になったところです。カメハメハ軍はオアフ軍をヌウアヌへと追い詰めて行きました。オアフ軍は展望台のあたりの高台に追いやられ、次々と300メートルもの絶壁から落ちて死んでいったそうです。
 約100年後の1897年にそれまでの原始的なトレイルに代わるパリ・ハイウェイが建設されました。その時、崖下から約800体の白骨が発見されたそうです。 



カメハメハ大王像
King Kamehameha Statue
 カメハメハ一世 (カメハメハ大王)
ハワイ島の王だったカメハメハはマウイ島、ラナイ島、モロカイ島、そして権力のもう一つの中心地であったオアフ島の順に次々と領土を広げ、ハワイ諸島を統一しました。
オアフ島に居を構え、晩年は故郷のハワイ島カイルア・コナに戻りました。
 キング・ストリート沿いに立つ彼の銅像は、キャプテン・クックのハワイ諸島発見100年を記念して、1870年代、第7代カラカウア王がイタリアに発注したものです。ところがオリジナルは運搬途中、船火事により水没してしまいました。そのあと像が造られましたが、水没したオリジナルの像がその後発見されました。今は彼が生まれたハワイ島コハラにあるということです。



アメリカで唯一の宮殿
イオラニ宮殿
Iolani Palace
 イオラニ宮殿は1882年、7代ハワイ王朝の王カラカウアとその妃カピオラニの住居として建てられました。当時の金額で35万ドルという大金をかけて、アメリカン・フィレンツェ様式と呼ばれる優雅な建築スタイルを採用して造られたのです。
 この宮殿はカラカウアの死後、王位を継いだ妹のリリウオカラニがクーデターにより退位させられた1893年までの11年間、ハワイ王朝の社交の中心舞台でした。メリー・モナーク(陽気な王様)との異名をとったカラカウア王の時代には毎夜、盛大なルアウ(ハワイ式宴会)が繰り広げられたということです。



クアロア・パーク
Kualoa Park
 チャイナマンズハットと呼ばれる独特な形の島を沖合いに眺める事が出来る東海岸の州立公園です。ビーチパークも広くのびのびしています。キャンプも出来る大きな公園の背後には、コウラウ山脈のノコギリ形の峰が迫ります。
 エルビス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」はここで撮影されたそうです。また映画「ジュラシック・パーク」や「ゴジラ」の舞台となった所です。



ハナウマ湾
Hanauma Bay
 エメラルドグリーンの穏やかな海、波の少ない浅瀬であるハナウマ湾は、サンゴ礁が広がる海洋保護区です。ワイキキから東へ約8`、ココ・ヘッドとココ・クレーターにはさまれた遠浅の海岸です。ハワイ大学の海洋研究の場でもあり、海水浴場ではありません。 




サーフィンのメッカ
ノース・シェア
North Shore
 オワフ島東部のルート83号線沿いのハレイワ付近までの一帯をノース・シェアと呼んでいます。エフカイ、サンセットなどの世界的なサーファー大会が開かれます。夏場はワイメア、ハレイワなどのビーチパークで海水浴が出来ます。
  ビッグウェーブで名高いノース・シェアは世界中からサーファー達が集まっています。特に冬は波が荒く約6メートル以上にも達するのでサーフボードの選手権大会などが行われています。


かつて隆盛をきわめたハワイのパイナップル
ドール・パイナップル・プランテーション
Dole Pineapple Plantation
 ハイワレからルート99を内陸に南下するとドオール社のパイナップル畑が見えてきます。この中のビジターセンターにはパイナップルの新鮮なジュースやアレンジグッヅが売られています。



アロハタワー
Aloha Tower
 かつてホノルル港のシンボルだったアロハタワーです。現在では最上階の10階が展望台として解放されているそうです。アロハ・タワー・マーケット・プレイスが隣にあり気軽に入れそうな店が並んでいます。



パール・ハーバー
Pearl Harbor
 太平洋戦争の発端となった日本軍の真珠湾攻撃が行われたところです。1941年12月7日早朝、183機の日本連合艦隊の爆撃機は停泊中のアメリカ太平洋艦隊主力艦を奇襲攻撃しました。
 湾内にはまだ1100人の遺骨とともに5隻の軍艦が沈んでいます。戦艦アリゾナ艦上にアリゾナ・メモリアルが建てられています。30分ごとにボートが出ています。



モアナルアガーデン
Moanalua Gardens
 この木、何の木のコマーシャルで有名なモンキーツリーが何本もある公園です。 樹齢は約120年ぐらいだといわれています。原産地はアフリカだそうです。個人の所有ということでした。ここにくるのは日本人ぐらいでした。日立の宣伝力のせいですか?


アラモアナセンター
Alamoana center
 多くの有名ショップが集まっているアラモアナセンターです。海岸はアラモアナ・ビーチになっていて全長1kmのピーチ・パークです。



パンチボウル
Punchbowl
 標高150mの死火山の火口に造られた国立太平洋記念墓地です。観光ルートですと中を見て回るだけで降りることは出来ません。
 広々とした芝生の中に第一次、第二次世界大戦の戦没者、ベトナム、湾岸戦争の戦没者など25000人以上の墓標が並んでいます。「パンチボール」という名称は、その丘の形からきているようです。古来のハワイ語では、「Puowaina」(プオヴァイナ)と呼ばれてきました。それは「いけにえの丘」という意味だそうです。
 ハワイ出身の宇宙飛行士エリソン・オニヅカ大佐のお墓もありました。打ち上げの後爆発し亡くなりました。あのチャレンジャー号の事故の映像は、まだ目に焼き付いています。
 太平洋戦争で日系人の地位を高めた442部隊もここに埋葬されています。敷地内の一角にある展望台からはダウンタウンやワイキキの街並み、その向こうに広がる青い海やダイアモンドヘッドなどを見渡すことができます。
 パンチボールのクレーターの面積は、なんと約47万平方メートルもあります。その中に、国立墓地が造成されたのは1964年のことだったそうです。たくさんの花が植えられていて本当に墓地とは思えない美しいところでした。



ポリネシア文化センター
Polynesian Cultural Center
 南太平洋の村々が17万平方メートルもの広大な敷地に再現されています。ハワイ最大のレジャーランドになっています。
 大型カヌーに乗ってフィージー、サモア、トンガ、タヒチ、マオリ、ニュージーランド、ハワイなどの村を訪れることが出来ます。各島の伝統的な衣装を着たポリネシアンの若者が迎えてくれます。
 ハワイ諸島に最初に移り住んだのは、非常に優れた航海術を持った南太平洋のポリネシア人だといわれています。西暦600年から750年頃にかけてマーケサス諸島から、そして1100年頃にはソサエティ諸島タヒチあたりから移り住んで来たといわれています。
  ポリネシアの人々は、星をナビゲートに使って航海をする知識を持ち、食料や植物、家畜などを船に積んで新天地を探すために航海に出たのです。 彼等の優れた航海術はハワイ諸島を発見し定住しただけでなく、故郷と新定住地の間を幾度となく航海するほど精度が優れていたのです。
 「ここで働く者の多くは、隣接するプリガムヤング大学の学生です。入園料の一部は学生の奨学金に利用させていただきます」とあります。ここの最大の見せ場、最後に行われる盛大なショーの主役は学生なのです。
 園内にはモルモン教の教会などへ行ける無料バスが走っています。ここの大学もモルモン教の大学です。日本人の若い女性の学生さんに案内されました。入信は兎も角、真剣な生き方には感銘を受けました。


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