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イタリアの旅    ピサ

 ピサ斜塔で有名な ピサはイタリア中西部のトスカーナ州にあります。10世紀頃から、東方貿易で繁栄し、一時は、ヴェネツィアやジェノヴァなどと肩を並べる程の海洋国家でした。
ドゥオモのブロンズのランプ
 近隣のリッカ、ピストイヤ、アレッツォなどを支配下に置き勇敢なピサの海に男達は外国にも乗り出していったのです。しかし13世紀末には、競争相手のジェノヴァやフィレンツェに圧倒されて、フィレンツェ大公国の支配下に置かれてしまったのです。
ドゥオモ内部



洗礼堂
 ピサの斜塔を含む4大建築物が建つドゥオモ広場には広々とした芝生があり「奇跡の広場」とも呼ばれています。この広場の一番手前にあるドーム型の建物が洗礼堂です。
 洗礼堂は1521年ディオティサルビによって着工されました。隣りに建つ大聖堂と調和したロマネスク様式の素敵な建物です。
 ジョバンニ・ピサーノ、ニコラ・ピサーノらの指導の下に数百年にもわたり、完成したのは14世紀の末のことだったそうです。
 洗礼堂は内部は大聖堂の内部と比べると意外に簡素な落ち着いた感じです。



ピサの斜塔
 斜塔はボナンノ・ピサーノによってピサ大聖堂の鐘楼として1173年に着工されました。地盤がゆるいために建築途中から傾き始め、工事は一度中断したそうです。
 白い大理石の優雅な塔は傾いていなければこのように有名にはならなかったでしょう。まわりにいた旅行者は手を挙げてこの斜塔を支えるポーズをしまくっていました。
 塔の3層目まで来たところで傾き始め、工事中断後、塔の中心軸を調整しながら建築されたそうです。全てが完成したのは177年後の1350年だったといわれています。塔の高さは北側55.2メートル、南側54.5メートル8層構成で南に約0.7メートルほど傾いているそうです。
 塔はもともと洗礼堂、カンポサルト(納骨堂)と共にドゥオモの付帯建築物として建造されたものです。ドゥオモ広場には中世のすばらしい建造物すべてが現存しているのです。
 修理されて再び塔に登ることができるようになりましたが人数制限があり、かなり待っている人がいました。またこの塔はガリレオ・ガリレイが落下の法則を発見した塔としても広く世界に知られています。



ドゥオモ(大聖堂)
 ピサのドゥオモ(大聖堂)は、中世都市国家ピサが、サラセン艦隊を破ったことを記念して造られたそうです。
 1068年、ブスケートの設計により建造され50年かけて完成したそうです。彼はかつてギリシャ人と考えられていましたが実際はここピサの出身者だそうです。彼の遺体はドゥオモを入ってすぐ左手の質素な石棺に収められています。
 その後ライナルドが会堂部を延長する増改築を行いドームを載せました。鐘塔と洗礼堂などもあわせて建造したそうです。塔を除いては13世紀に完成したが、16世紀には火災にあい、修復作業も行なわれたようです。
 白大理石のロマネスク様式の最高傑作です。天井が高く、 4層の柱列が建物の正面を飾っています。素晴らしいロマネスクの像が飾られています。
 ドゥオモ入口扉のボナンノ・ピサーノの扉はイタリア・ロマネスク彫刻を代表するものとして有名です。さらに説教壇もイタリア・ゴシックを代表する作品です。

 ピサのドゥオモ内のステンドグラスです。
 奥行き100mの内部は白と黒の縞模様で飾られています。東方文化の足跡もみられピサの歴史がしのばれます。
 ブロンズのランプはガリレオがこのランプが揺れる所を見て「振り子の法則」を発見したとされていて「ガリレオのランプ」と呼ばれているそうです。


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