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イタリアの旅    ローマ

 ローマ帝国時代の遺跡とカトリック世界を象徴する建造物が共存している街、それがローマです。イタリアの首都でもあり、ラツィオ州ローマ県の州都、県都でもあります。人口は265万人(2001)です。
 オオカミに育てられ、ローマを建国したとされる、ロムルスとレムスの双子の兄弟の像です。伝説によるとローマは、ロムルスにより、紀元前753年に建国されたといわれています。
 ローマには、貴族と平民の二つの身分があったようです。貴族は参政権をもち、軍務に服していました。王は有力貴族の集まりであるセナトゥスとよばれる元老院から選出され、軍を率いました。
フォロ・ロマーノ
 共和政期には、王にかわって毎年2名の政務官が選ばれて政治を行ったっようです。共和政の初期、貴族と平民の間で参政権をめぐって争いがあり、後に平民が元老院に入ることも許されていったようです。紀元前3世紀前半までにローマはルビコン川より南のイタリア半島まで征服していました。
フォロ・ロマーノ
 前264年、ローマはカルタゴとの最初の大きな戦争を戦った。カルタゴは貿易を中心とする強力な国家として、地中海の中部・西部海域と周辺に強い影響力をもっていたため地中海の支配者がどちらになるかの重要な戦いとなったのです。(第1次ポエニ戦争)
 第2次ポエニ戦争ではローマ軍は苦戦の末、敵将ハンニバルを破り、紀元前202年のザマの戦いで圧勝しました。そして第3次ポエニ戦争でカルタゴを破壊し滅亡させたのです。
 初代皇帝アウグストゥスは紀元前27年に皇位についたようです。そこから五賢帝の時代にいたるほぼ1、2世紀の間のローマの平和といわれる平和と安定の時代を地中海世界は、ローマ帝国の支配のもとに、謳歌しました。
カンピドリオの丘
 ローマ帝国は近隣都市国家を巧みに併合していきました。土着の神を認めてローマの神とともに祀ったり、近代都市建設を施工して快適な環境に向上させたりしました。
 パンなどを配給したり、浴場を造ったり、コロッセオのような闘技場に無料で見学させたりしました。その代り見学席は身分を分けることを認識させ軍隊も強化しました。ローマの市民権を息子に与えるため25年もの兵役を親たちは進んで志願したのでした。
ローマ法王のお住まい



フォロ・ロマーノ
 フォロ・ロマーノとは「ローマ市民の広場」という意味だそうです。 ここで、政治家の話を聞き、裁判が行われ、また、取り引きなども行われていたのです。
 この場所は沼地のような土地でしたが紀元前6世紀ごろに下水道の技術が発達したこともあり、ユリウス・カエサルはここを近代的な都市を建設しようとしました。
 共和制末期に入った紀元前1世紀頃、ローマは芸術の盛んな古代都市の都アテネや、古代エジプト最後の都アレクサンドリに比べ見劣りしていたのです。
 彼が暗殺されたのち初代ローマ皇帝アウグストゥスがその後を引き継いだのです。「神なるカエサル」を讃えるユリウス神殿や元老院、バシリカ。ユリヤを完成させたのです。
 さらにアウグストゥスはヴェスタ神殿や王宮(レギア)など既存のほとんどの建物に手を加えたほか、全域に舗装工事を施したそうです。
 その結果フォロ・ロマーノの様相は見事に変貌しました。ローマ帝国の政治・経済・司法の中心地になり、皇帝や支配者たちがここに住み、まさにローマ帝国の心臓部でした。
 しかしコンスタンティノープル遷都以降は、街の中心はサン・ピエトロ寺院に近い北西部に完全に移っていきました。残された遺構は周囲の丘から流れてくる土砂や持ち込まれたゴミで埋もれすっかりさびれてしまったのです。
 1803年、ナポレオンのローマ占領の際、同行の考古学者カルロ・フェアが初めて発掘に着手しました。現在のフォロ・ロマーノはこの時に発掘され復元されたものなのです。



ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
 フォーリ・インペリア通りを歩いていくと、ひときは目立つ白亜の建物が見えてきます。
 1870年のイタリア統一をはたした初代国王のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂です。ネオ・クラシック様式で、前面は緩やかなカーブを描く平面上に16本の円柱が並び、とてもどっしりとした風体。
 ジュゼッペ・サッコーニが設計し1911年に竣工しています。この記念堂の内部は戦争博物館になっているそうです。ローマ市民からはあまり評判が良くなく「デコレーションケーキ」「インク壷」、「タイプライター」、「入れ歯」などと呼ばれているそうです。
 映画「ローマの休日」ではオードリー・ヘプバーンがグレゴリー・ペックを後ろの乗せて、危ない運転で皆を驚かしていた所です。



 コロッセオ
 「巨大な」と言う意味を持つイタリア語コロッサーレから由来しているそうです。その名の通り周囲527m、4階建で高さ約57m、8万人を収容することが出来た円形劇場兼闘技場です。
 古代ローマ時代最大の建造物で紀元72年に着工し、80年に完成したといわれています。闘技場を4つの部分に分け4カ所で同時並行で工事が進められたといわれています。
 入場口のシステムは機能的でアーチに示された番号は観客の持つ切符に書かれた番号と対応していたようです。これにより身分に応じて観客席を分けることもできたのです。
 ローマの市民になるとこのようなショーを無料で見ることができ、食料なども配られたようです。その代り兵役に付くことが義務とされ子供が将来市民権を得られるように男親は戦地に行ったのでした。
 コロッセオは6世紀の頃まで使用されていたということです。「フラウィウスの闘技場」と呼ばれ剣闘士たちの戦いが繰り広げられました。負けた剣士の生死は皇帝の指で下され、身分による支配にも一役かっていたようです。



コンスタンティヌスの凱旋門
 コロッセオの前に建つ古い凱旋門です。312年のミルヴィオ橋の戦いで、コンスタンティヌス帝はマクセンティウスに勝利しました。これを祝って315年に元老院とローマ市民が建てたものだそうです。
 フォロとコロッセオの間にあるこの凱旋門は高さ約28メートルでローマで最大のものです。パリの凱旋門のモデルになったといわれています。
 レリーフはマクセンティウスに対する勝利の場面も描かれていますが他から持ってきたものも含まれているようです。フォロの中には、セヴェルスの凱旋門や、ティトゥスの凱旋門なども残っています。



スペイン広場
 オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの主演した「ローマの休日」で世界的に有名になった所です。幅の広い緩やかな階段は17世紀、広場に面した一角にスペイン大使館があったことから名が付いたようです。
 この階段はフランスの外交官の寄付金によって1723年に造られたもので137段もあります。踊り場もある芸術的な階段です。大勢の観光客で埋まっていました。



サン・ピエトロ大聖堂
 324年、コンスタンティヌス帝の命により聖堂が建てられました。その場所はキリストの使徒である聖ペトロの墓があったところでした。
 16世紀にブラマンテが大改築を命じられました。その後ミケランジェロ、ラファエロ、ベルニーニなどが着手し120年の歳月ののち、1626年に完成しました。
 交差廊の上にはミケランジェロの巨大なクーポラがそびえています。大胆な建築技術によって実現したこのドームは交差廊の四隅に立つ巨大な多角形の支柱の上に乗った強固な基壇に支えられています。
 ミケランジェロのピエタです。世界的に有名なこの彫刻はピエタ礼拝堂にあります。凝縮された美と調和のとれた均衡が永遠の若さを象徴する聖母マリアの悲しみを余すところなく描き出しています。
 聖ペテロの銅像は、アルノルフォ・ディ・カンビオの作です。大勢の信者たちが接吻したため、足の部分が擦り減っています。
 ベルニーニによって設計されたサン・ピエトロ大聖堂のブロンズの天蓋です。教皇の祭壇をねじれた柱や見事な装飾で飾っています。高さは十字架部分まで含め29mもあるそうです。
 彼はオベリスクや噴水など異質なものを調和させるため広場の周囲を楕円形の列柱廊で取り巻く天才的な方法で解決しました。

 ポポロ広場に立つオベリスクです。高さ36mありエジプトから持ち帰ったものだそうです。ポポロ門の内部の装飾は1655年、スウェーデンのクリスティーナ女王の訪問を記念して施されたそうです。



サンタンジェロ城
 サンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城です。元々は、ハドリアヌス帝の霊廟です。皇帝が亡くなった翌年の139年に完成しました。中世になって城塞として転用されました。ヴァティカン宮殿と結ばれ守りの前線基地になりました。



トレビの泉
 ローマ市内でも最大規模を誇る噴水です。ニコラ・サルビを中心とする建築家達によって、1732年に着手され1762年に完成したそうです。トレビとは三差路の意味で、この泉の前から3本の道が延びているので付けられたようです。
 トレビの泉は数多くあるローマの噴水の中でも最も有名で、大勢の観光客で賑わっています。
 古代ローマ時代に敷設された水道のひとつであるアクア・ウェルギネからながれだした水は、18世紀につくられたバロック様式のトレビの泉に入ってきます。
 この泉は、中央に重厚な凱旋門がおかれ、その前にギリシャ神話の水神オケアノス像が立っています。
 ローマ神話に出て来る海神ネプチューンが凱旋門を戦車に乗って進んでいます。それは巨大な貝殻の戦車です。一対の半人半獣のトリトーネによって引かれているのです。
 トレヴィの泉向かって1回投げると再びローマを訪れることができるそうです。2回投げると好きな人と結ばれ、3回投げるとわかれることができるといわれています。



パンテオン
 パンテオンとは「すべての神々の神殿」という意味を持つ神殿です。最初に建てられたのは紀元前27年ですがAD80年に焼失してしまいました。今の建物はハドリニアヌス帝によって再建されたものだそうです。再建とはいえ118年から125年に作られたもので1900年前のコンクリート建築なのです。
 鉄筋を用いない石造建築としては世界最大のドームです。古代ローマ人が発明した建築技術で独創的な建物を造ることができたのです。
 直径43.3mの巨大なドームで屋根の重量を分散するために、床からドーム頂上までを5層に分け、下部は煉瓦の断片、中部は煉瓦の断片と凝灰石、上部は凝灰石と軽石、というふうに上部にいくほど軽くなるように作られているそうです。
 地下墓地には思想家ボルテール、文豪ユゴー、元文化大臣アンドレ マルロー、思想家ルソー、作家ゾラなどフランス国家に功績のあった文化人やイタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世などが眠っています。


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