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真田氏の発祥

 真田氏系図には幾種類かがあって、そのほとんどが中世東信の豪族海野氏を祖としている。例えば浅羽本信州滋野三家系図では、海野小太郎幸氏の子に右衛門尉長氏があり、長氏の四男幸春が真田の地に居住して真田七郎と名乗り真田氏を称したことになっている。 応永七年(一四〇〇)の大塔合戦に実(真)田氏が、また永享一ニ年(一四四〇)の結城合戦に真田源太・同源五・同源六があり、一五世紀すでに真田氏の存在は明らかであった。しかし天文末年(一五五〇年代)甲斐国武田氏と深くかかわりながら登場する・真田幸隆が、海野氏や一五世紀の真田氏とどのような関係があったのかは必ずしも明確ではない。むしろこの幸隆が新たな起点となって真田氏は大名となってゆく。幸隆は武田氏に属してその勢力を上小・更埴・北上州へと拡大し、天正二年(一五七四)に没する。その子信細と昌輝は翌三年五月三河長篠の戦に武田方に参軍し、織田信長軍の攻撃で鉄砲の玉にあたって戦死している。ちなみに長篠合戦は鉄砲隊が威力を発揮し、以後の戦術変化に大きな影響を与えた。

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