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愛知の旅           あま市甚目寺

甚目寺
じもくじ
愛知県あま市甚目寺東門前24
Tel 052-442-3076


 鳳凰山甚目寺(じもくじ)は、あま市(旧甚目寺町)にある真言宗智山派のお寺で、甚目寺観音と呼ばれ、尾張4観音(笠寺、荒子、竜泉寺)の一つに数えられています。約9000平方mの広い境内には、本堂、釈迦堂、六角堂、不動堂、三重塔、南大門、東門、鐘楼などが建立しています。
 推古天皇5年(597)、伊勢の漁師・甚目(はだめ)龍磨(たつまろ)が海中から観音様を拾い、その観音像を近くの砂浜にお堂をたててお祀りしたのが甚目寺の始まりだといわれています。
 天智天皇が病気になり、甚目寺で祈祷したところ、快癒したことから、勅願寺となり、天武天皇7年(679)、堂宇が造営され、鳳凰山の山号の勅額を下賜されました。康和5年(1103)には、藤原連長や僧智能、大江重房らが堂宇が修復されました。
 天治元年(1124)、地震で倒壊しましたが、大治元年(1126)に、大江為道らが再建しています。鎌倉時代の建仁7年(1196)には聖観(しょうかん)上人が広く浄財を募って諸伽藍を再建、造営しています。
 天正11年(1583)織田信雄が寺領として30町歩を寄進、文禄4年(1595)、豊臣秀吉が寺領300石を寄進しています。元和6年(1620)には藩祖・徳川義直が寺領300石を寄せています。
 江戸時代には、尾張4観音の第1位として、身分の上下にかかわらず信仰を集め、宿坊も36を数え寺運も栄えました。本尊の聖観音は高さ1尺1寸5分の秘仏で、50年に1回開帳されます。前立である十一面観音の胎内仏です。

 甚目寺の南大門は3間1戸の楼門で入母屋造り、こけら葺きです。仁王門ともいわれ、安置されている仁王(金剛力士)像は、慶長2年(1597)、地元出身の福島正則が寄進したものです。建久7年(1196)に再建された門で、明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。
甚目寺南大門
 甚目寺の三重塔は寛永4年(1627)に吉田半十郎の寄進によって再建されたもので、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。3間3重塔婆で本瓦葺きです。高さは25mで日本有数の高さを誇っています。本尊の愛染明王は縁結びと耳の遠い人に御利益があるそうです。
甚目寺三重塔
 甚目寺の東門は切妻造り、銅板葺きの四脚門です。桃山時代の様式を随所に残しており、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。昭和31年(1956)に行われた解体修理で墨書銘が発見され、寛永11年(1634)の建立であることがわかりました。
甚目寺東門
 甚目寺本堂は平成4年(1992)に再建された建物です。本尊は聖観世音菩薩です。三国伝来の聖観音を十一面観音の胎内仏として祀っています。堂内には、子宝に恵まれる霊験のある「おさる様」を奉っています。家内安全、厄除けのご利益があり、節分の日は多くの参拝客で賑わいます。
甚目寺本堂
 甚目寺の六角堂の本尊は地蔵菩薩です。千体の地蔵様が祀られています。子供の育成を加護し、学業成就、身体健康に御利益があるそうです。
甚目寺六角堂
 甚目寺の秋葉堂の本尊は、秋葉三尺坊大権現です。秋葉様は火防守護の御利益があります。脇には開祖役行者(えんのぎょうじゃ)を奉っています。毎年12月第2日曜日に縁日が開かれます。
甚目寺秋葉堂
 甚目寺の釈迦堂の本尊は釈迦如来です。右に薬師如来、左に御狙様(おそそさま)を祀っています。御狙様は女性の肌荒れ、赤ちゃんの痣(あざ)に効能があるそうです。
甚目寺釈迦堂
 甚目寺鐘楼とそこに釣られている鐘は戦後のものです。別の所にある小ぶりの梵鐘は織田信長が永禄10年頃に寄進した建武4年鋳造銘があり、県の文化財に指定されています。近江西念寺にあったのを甚目寺の大鐘と取り替えた鐘と伝えられています。
甚目寺鐘楼
 甚目寺にある法花院(ほっけいん)は古来より出世法印の由緒地と称せられ、出世幸福の御利益が得られるそうです。本尊は聖観世音菩薩です。塔頭成就院の文聖観音(国指定重要文化財)も祀っています。
甚目寺法花院


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