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愛知の旅       知多郡東浦町

乾坤院
けんこんいん
愛知県知多郡東浦町緒川字沙弥田4
Tel 0562-83-2506



 乾坤院は、正式には曹洞宗中本山宇宙山乾坤院というお寺です。緒川水野氏の菩提寺で、文明7年(1475)に初代城主水野貞守(さだもり)が創建しました。山門をくぐり抜けると総門があり、この二つの門は緒川城(小川城)を知る唯一の遺構となっています。
 4代忠政・5代信元の時代になると、水野氏は積極的に刈谷・知多半島へ進出しました。乾坤院も水野一族からの寄進を受けて、諸堂を整備し経済的安定を得ました。忠政の娘は家康の生母於代の方です。於代の方から3里4方の山林の寄進を受けたという記録も残っています。
 天正3年(1575)佐久間氏の讒言で織田信長の怒りに触れ信元は殺されてしまいました。これにより水野氏の緒川支配は一時中断しました。その後、豊臣の時代に入ると、太閤検地が行われ、乾坤院のそれまでの寺領はほとんどなくなってしまいました。
 江戸時代の乾坤院は、唯一の檀家水野氏の菩提寺として、尾張・三河・遠江に61寺の末寺を擁する曹洞宗中本山の名刹になりました。寛文10年(1670)岡崎城主水野忠善は、曽祖父忠政の御霊屋「堅雄堂」を建て、忠政から忠善にお至る4代の墓を建立しました。
 徳川家康の母於大が水野忠政の娘であったことから、水野家の子孫は譜代の名門として幕府の要職に就く者も多かったようです。天保の改革を行った老中水野忠邦も重用された一人でした。


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