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愛知の旅           清須市

清洲城
きよすじょう
愛知県清須市朝日城屋敷1−1
Tel 052-409-7330 清洲城管理事務所


 清洲城は戦国時代、織田信長が城主となったことで知られる城です。現在ある清洲城天主閣は平成元年(1989)に再建された建物で、ふれあい郷土館として資料などを公開しています。慶長15年(1610)の名古屋遷都(清洲越し)により廃城され、石垣の基礎が残される程度で遺構はほとんどありません。
 清洲城は、室町時代前期の応永12年(1405)頃、尾張・遠江・越前の守護職の管領・斯波義重によって、守護所・下津城の別郭として築かれました。文明8年(1476)に守護代織田家の内紛により下津城が焼失、文明10年(1478)守護所が清洲に移され、尾張国の中心地となりました。
 弘治元年(1555)、織田信長が那古野城から入城し、大改修を加えた後、本拠として居城しました。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清洲を居城とした。永禄5年(1562)には信長と徳川家康との間で清洲同盟がこの城で結ばれました。
 その後、信長は嫡男の信忠に清洲城を譲り、岐阜城に移りました。天正10年(1582)、本能寺の変で信長が殺された後、清洲城にて清洲会議が行われ、城主は次男の織田信雄となり、大天守・小天守・三重の堀を構える大修築を行いました。
 信雄の改易後、城主は、豊臣秀次,、福島正則と続き、関が原合戦後は、家康の4男・松平忠吉、家康9男・徳川義直と続き清洲藩の本拠となりました。慶長14年(1609),、家康により、清洲から名古屋への遷府が指令されました。
 慶長15年(1610)より清洲城下町は名古屋城下に移転され(清洲越し)、清洲城も名古屋城築城の際の資材として利用されました。慶長18年(1613)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより清洲城は廃城となりました。


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