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愛知の旅          知多郡南知多町

羽豆神社(羽豆崎城跡)
はずじんじゃ(はずざきじょうせき)
愛知県知多郡南知多町師崎鳥東58ー3
Tel 0569-63-0790


 羽豆神社は知多半島の先端部である師崎の羽豆岬に建てられています。祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)で尾張氏の祖先とされている人物です。
 羽豆岬は日本武尊の東征に水軍として従った但馬連の拠点でした。東征の帰途、水軍を統率した建稲種命が水難に遭い、その衣服が岬に漂着しました。それを神として岬上に祀ったのが羽豆神社といわれています。
 「延喜式」にも知多三座の一つとして名を連ねています。社殿は小さく質素ですが祭典には勅使の奉幣があり、重要な官社としての待遇を受けていたようです。
 文和4年(1355)、親昌猶子昌能により修復寄進、応安3年(1370)、宗良親王より御奉幣、永享6年(1434)、加賀守盛貞により造営、明応9年(1500)、田原城主戸田憲光により造営されました。しかし、天正18年(1590)に豊臣秀吉の検地で所領を没収されてしまいました。
 その後、旧に戻され、慶長6年(1601)には尾張藩船奉行・千賀重親により社殿が造営されています。寛永18年(1641)には火災のため焼失し、宝暦10年(1760)に再建されています。「尾張名所図絵」にも記され、繁栄しました。
 三河守護の一色道範(みちのり)が、応永15年(1408)に自ら写経して寄贈した法華経八巻は室町時代写経の代表的な遺品で、羽豆神社が所蔵しており、県指定の文化財となっています。
 羽豆神社の社叢は国の天然記念物に指定されています。参道の両側にはウバメガシの群落があり、海風を受けて根や幹をたわめ、枝が交錯してトンネル状の珍しい景観を形づくっています。まさに暖地性常緑樹林の宝庫です。
羽豆神社社叢
 羽豆崎城は羽豆神社と同じ場所にありました。古くは日本武尊の東征の見張り所がありました。南北朝時代に熱田神官の大宮司千秋昌能が自ら南朝方につき、拠点として守ったそうです。足利勢に東海道を押さえられた後、海上で東国から吉野に入る中継地となりました。南朝が衰えると、足利一族の一色氏が支配し代官として佐治氏が入城しました。その後、千賀氏が佐治氏の陣代として入城しました。そして千賀氏の師崎水軍の活躍が始まりました。大阪の陣を終え、近くに屋敷を構えたため廃城になりました。
羽豆崎城跡


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