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愛知の旅           名古屋市東区

建中寺
けんちゅうじ
愛知県名古屋市東区筒井1丁目7ー57
Tel 052-935-3845


 徳興山建中寺は浄土宗のお寺です。慶安4年(1651)第2代尾張藩主・徳川光友(みつとも)が父である藩祖・徳川義直の菩堤を弔うために建立しました。茨城県結城市の弘経寺の成誉廊呑上人が招請されて開山されました。
 以来、尾張徳川家の菩提寺になり、500石の供養料を受けました。元禄13年(1700)、光友は76歳で歿し、建中寺に葬られました。翌年、廟・御霊屋が建立されています。
 第4代吉通、第5代五郎太、第6代徳川継友、第8代宗勝、第7代宗春、第9代宗睦、第11代斉温、第12代斉荘、第13代慶臧、第10代斉朝の廟や御霊屋が建立されました。明治まで4棟の霊廟があったそうですが、今は光友の御霊屋(県文化財)1つ残されているだけです。
 創建時は周囲は石垣と堀で囲まれていて、4万8千坪の敷地に本堂を始め、諸堂数十棟が建立されました。天明5年(1785)の大火災で総門・三門などを除く多くの堂宇が焼失しましたが、天明7年(1787)に再建されました。

 建中寺の三門は慶安4年(1651)創建当時の建築物で、総檜造り三間薬医門です。両脇築地塀付で、3間1戸2重門、入母屋造り、本瓦葺きです。三門とは、空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持っていて、佛教の覚りの境地を表しています。
建中寺三門
 上層には、釈迦牟尼仏を中心として16羅漢の像が祀られています。建中寺の三門は建中寺公園の前(南側)にあり、昭和60年(1985)に名古屋市の文化財に指定されています。
建中寺三門
 建中寺の本堂は天明7年(1787)の大火の後に再建された建物です。間口15間(27m)奥行14間(25.2m)、入母屋造り、本瓦葺きです。建坪210坪(700u)という巨大な木造建築で、現在名古屋市内の木造建築物では最大のもので格調高く古式を保っています。
建中寺本堂
 本堂にある本尊の阿弥陀如像は、開山廓呑上人が結城弘経寺から招来したもので、止利仏師作と伝えられています。渡来系の仏師・止利仏師は鞍作止利(くらつくりのとり)といい、飛鳥時代を代表する仏師で、法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像を造ったとされています。本堂は名古屋市の文化財に指定されています。
建中寺本堂
 建中寺の書院は客殿でもあります。昭和39年(1964)に再建されたまだ新しい建物です。名工大竹利左衛門の設計による壮麗な建築です。
建中寺書院
 建中寺の不動堂は明王殿とも呼ばれています。昭和44年(1969)の再建で、本尊不動明王は、江戸時代から尾張徳川家戦勝祈願の秘仏です。前立て本尊が正面に安置してあり、その奥に秘仏が安置されています。厄除け、開運、家内安全、交通安全、病即消滅、商売繁盛などに霊験があらたかで、地域の信仰を集めています。
建中寺不動堂
 建中寺開山堂は火災の後、天明5年(1786)に再建された建物です。寄棟造り、桟瓦(さんがわら)葺きの総欅造りで、大工棟梁・斎谷小一郎藤原長虎(さいやこいちろうふじわらながとら)によって造られています。平成12年(2000)に名古屋市の文化財に指定されています。
建中寺開山堂
 建中寺鐘楼は天明7年(1788)に再建されています。入母屋造り、本瓦葺き、台形の袴腰つきの建築様式で、昭和60年(1985)に名古屋市の文化財に指定されています。500貫の(1923s)の梵鐘がつるされています。梵鐘には林道春(羅山)の銘が刻まれていたため、戦時中の供出を免れたといわれています。
建中寺鐘楼
 建中寺の経蔵は一重もこし付、宝形造り、本瓦葺きの、全国でも珍しい総漆喰の建物で、文政11年(1828)に建てられています。内部には13宗の開山の御木像を周囲に、中央には5800巻の一切経を奉安する塔があります。平成11年(1999)に名古屋市の文化財に指定されています。
建中寺経蔵
 建中寺の御成門は唐破風造りの四脚平唐門です。本瓦葺きの屋根に鯱をいただき葵の紋所で飾られた門です。伊勢湾台風で屋根が破損し、修復中に屋根裏から棟札書きが発見され、正徳4年(1714)建立のものと判明しました。昭和60年(1985)に名古屋市の文化財に指定されています。
建中寺御成門


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