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愛知の旅          名古屋市昭和区

興正寺
こうしょうじ
愛知県名古屋市昭和区八事本町78
Tel 052-832-2801


 八事山(やごとさん)興正寺は興正寺公園内にある高野山真言宗の別格本山です。尾張高野、八事観音と呼ばれ、本尊は大日如来です。江戸時代までは中門をはさんで東山(女人禁制)の遍照院と西山の普門院に分かれていました。
 東山には興正寺の総本尊大日如来を祀る大日堂を始め奥之院、弘法堂、不動堂などがあり、西山には、五重塔、本堂(阿弥陀堂)、観音堂、能満堂(虚空蔵堂)、念仏堂、鎮守社、行堂などが軒を連ねました。
 貞享3年(1686)、高野山において弘法大師の五鈷杵(ごこしょ)を授かった天瑞圓照がこの地に草庵を結びました。元禄元年(1688)尾張藩2代藩主・徳川光友の帰依を受け、現瑞寺の建物を移して興正寺を創建しました。
 大日堂に安置される丈六金銅大日如来は、光友の発願によって造られ、元禄10年(1697)に開眼されました。興正寺は戒律を重視した学問修行の寺として隆盛し、5代諦忍和尚の時、西山阿弥陀堂を建立して阿弥陀如来を祀り庶民のための信仰の地としました。
 諦忍は、華厳、律、法華、浄土念仏などを広く研究し、多くの独創的な書を著し、天下に知られ多くの僧が来山したそうです。その弟子真隆は一文講を発願して浄財を集め今の五重塔を建立しました。興正寺は徳川家の祈願寺であり、新西国八十八ケ所の結願寺としても繁栄しました。

 興正寺総門は西山の人口として、元禄10年(1697)に造られ、7世真隆和尚の時代に再建されました。木造り、一間棟門、本瓦葺きです。総門をくぐると、左手に七観音、右手に六地蔵があります。
興正寺総門
 中門は、両側に多くの祠が並んだ参道の先にあります。修行の場で女人禁制だった「東山」と、一般参詣者が入れた「西山」を分けていた門で、女人門と呼ばれていました。木造り、三間一戸、本瓦葺きです。女人禁制が解かれた明治時代になって現在地に移設されました。中門の奥には、五重塔があります。
興正寺中門
 興正寺五重の塔は文化5年(1808)、総門を再建した真隆和尚のときに建立されたものです。木造り、三間、本瓦葺きで、高さは30mあります。初重3.93m角の小規模な塔で、塔身が細長く相輪が短い点で江戸時代後期の塔の特徴をよく表わしています。尾張藩徳川家の祈願寺であることから、塔の扉には葵の紋が刻まれています。国の重要文化財に指定されていて、東海地方では唯一の木造五重塔です。
興正寺五重塔
 興正寺本堂は寛延3年(1750)、5世諦忍和尚が真言念仏の教えで大衆教化のため、西山阿弥陀堂として建立しました。本尊、阿弥陀如来をはじめ大隋求明王、不動明王、愛染明王、文珠菩薩、弘法大師、寿老人などが祀られています。
興正寺本堂
 本堂には尾張徳川家・7代藩主の宗春公直筆の「八事山」の掛け軸が掲げられています。総門、中門、五重塔、本堂が南北の軸線上に一列に並び、古代的な伽藍(がらん)配置になっています。
興正寺本堂
 興正寺観音堂は、開山した天瑞和尚が建立したものです。尾張徳川2代藩主・光友より寄進された秘仏の慈覚大師作正観世音菩薩を本尊として安置しています。安政4年(1857)に10世潭道和尚により再建され、その脇立の三十三観音像は、天瑞和尚の自作です。東海百観音、尾張三十三観音の札所霊場でもあります。
興正寺観音堂
 興正寺の能満堂(虚空蔵堂)は徳川家の祈願修法所として、享保2年(1717)に6代藩主・継友により建立されました。本尊は秘仏の虚空蔵菩薩です。ここからは墓地が広がっています。
興正寺能満堂
 興正寺圓照堂は興正寺の象徴である五重塔建立200年を迎えるにあたって、永代供養・納骨殿として平成15年(2003)に建立されました。桜の咲く時期にはライトアップされます。
興正寺圓照堂


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