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愛知の旅           名古屋市南区

富部神社
とべじんじゃ
愛知県名古屋市南区呼続4ー13ー38
Tel 052-821-2909


 富部神社は名古屋市南部の笠寺台地にあります。創建ははっきりしませんが、慶長8年(1603)、津島神社の牛頭天王を勧請し、「戸部天王」、「蛇毒神天王」と呼ばれたそうです。牛頭天王は神道だけでなく、仏教、陰陽道でも奉られる神です。神道、仏教では病魔を自在にあやつり、陰陽道では天体と方位を掌る神といわれます。
 徳川家康の四男、清州城主・松平忠吉は重い病気になり、病気平癒の祈願を行ったところ病が快癒したそうです。忠吉は井伊直政の娘婿です。慶長11年(1606)、忠吉は神意に感謝し、現在地に遷座し、社殿を再建。天福寺を神宮寺として創建し社領100石を寄進しました。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され天福寺は廃寺となりました。本社は祭神を素盞嗚尊とし、明治11年(1873)には田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、菊理姫命を合祀しています。忠吉再建時の本殿は国指定重要文化財、本殿と同時期建立の祭文殿と、高砂車山車(享保12年製作)は名古屋市指定文化財です。


富部神社本殿(国重文)
 富部神社の本殿は檜皮葺きの、一間社流造りで、慶長11年(1606)に清州城主・松平忠吉が再建した社殿です。棟梁・澤田庄左衛門、村田喜左衛門によって造られています。外壁は朱色で彩色され、正面の蟇股、屋根の懸魚(けぎょ)・桁隠などの細部には桃山時代の特徴がみられます。昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。
富部神社本殿

富部神社祭文殿
 尾張地方には、拝殿、祭文殿、本殿を中軸線上に並べ、祭文殿の左右に廻廊を延ばす「尾張造り」と呼ばれる社殿配置の形式があります。富部神社も同じ配置です。祭文殿は本殿と同じ慶長11年(1606)に建てられました。回脚門形式、切妻、銅板葺きで、左右に廻廊と接続しています。名古屋市の有形文化財に指定されています。
富部神社祭文殿


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