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愛知の旅           西尾市

久麻久神社
くまくじんじゃ
愛知県西尾市八ツ面町麓77
Tel 0563-56-2111


 久麻久神社の創建は古く明確ではありませんが近郷17ヶ村の総氏神として崇敬されていました。崇神天皇の頃、丹後国与謝の里より久麻久連(くまくのむらじ)一族が移り住み、開拓したと伝えられ、その産土神となったようです。
 大宝年間(701-704)に須佐之男命の分霊を新たに勧請し大宝天王宮と称しました。延長5年(927)編纂の延喜式神名帳に式内社として記されています。中世に入ると八ツ面山の西麓にあった荒川城城主・荒川甲斐守義弘が崇敬し、堂宇を再興し「荒川大宝天王宮」と称しました。
 当初は男山山頂付近にありましたが、徳川家康が家臣の鳥居元忠に命じ現在地に遷座させています。明治元年(1868)に久麻久神社に戻し、明治6年(1873)に郷社に列しています。 本殿は国指定重要文化財で、神像の牛頭天王像と、陶製の狛犬は愛知県の有形文化財に指定されています。


久麻久神社本殿(国重文)
 久麻久神社の本殿は間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、正面に3間の向拝を付けています。昭和44年(1969)の解体修理の際発見された棟札により、室町時代後期の大永7年(1527)に再建された社殿であることが判明しました。
久麻久神社本殿
 本殿の規模はやや大きく、蟇股の輪郭、内部の透かし彫り、頭貫の絵様、手挟みなどの軒周りの彫刻は雄渾な造りをみせ、室町時代の特色をよく示しています。昭和4年(1929)に1間厨子、宝徳元年(1449)の鰐口、棟札2枚を附指定にして、久麻久神社の本殿は国の重要文化財に指定されています。
久麻久神社本殿


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