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愛知の旅
岡崎市
妙源寺
みょうげんじ
愛知県岡崎市大和町字沓市場65
Tel 0564-31-5402
桑子山妙源寺は浄土真宗高田派のお寺で、念信房蓮慶(れんけい)が正嘉2年(1258)に創建しました。蓮慶は、もとは安藤薩摩守信平といい、碧海郡桑子城の領主でした。
文暦2年(1235)、親鸞聖人が関東より帰京の際、城内の太子堂(柳堂)に招き、説法を聞きました。この教えに感化され武門を捨て、城を弟の親行に譲り、出家して親鸞の弟子になったそうです。
正嘉2年(1258)、城地の一画に一宇を創建、明眼寺と名付け、恵心僧都(えしんそうず)作の阿弥陀如来像を本尊として安置しました。この像はのちに徳川家康の念持仏となり、さらに東京芝の増上寺に安置された黒本尊です。
以来、三河念仏発祥の寺として隆盛をきわめ、近隣に数十の末寺を有しました。永禄6年(1563)の三河一向揆の時、徳川に味方し家康はこの寺に難を避けたといわれています。慶長8年(1603)、家康は朱印領30石を寄進し、妙眼寺の寺号を与え、のちに妙源寺と改めたそうです。
妙源寺柳堂は本堂の南東にあり、桁行3間、梁間3間、1重、寄棟造り、檜皮葺きの太子堂です。正面に1間の向拝を付し、組物は和様で、内部に来迎柱を建てて須弥壇を設けています。軒は深く、細部に鎌倉時代末期の手法を伝え、明治36年(1903)、国の重要文化財に指定されています。
妙源寺柳堂
柳堂は開山した蓮慶が河内国安部郷からこの地に移住の際持参した自作の聖徳太子木像を安置するために建立しました。現在の建物は正和3年(1314)に再建されたものです。その後700余年、基礎を移さず柱梁もそのままで、往時の面影を伝えています。この太子堂を柳堂と呼ぶのは昔、堂の前に大きな柳の木があったことに由来しています。
妙源寺柳堂
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