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愛知の旅          新城市

鳳来寺
ほうらいじ
愛知県新城市門谷字鳳来寺1
Tel 0536-35-0604


 煙巌山鳳来寺は鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団のお寺です。大宝2年(702)、文武天皇の勅願により利修仙人が開いたのが始まりとされ、利修が刻んだという薬師如来を本尊としています。天平勝宝年間(749-757)には聖武天皇と光明皇后から帰依され「鳳来寺」の勅額を賜っています。
 その後、寺運は衰えましたが、建久年間(1190-1199)に鳳来寺に匿われたことがある源頼朝が堂宇を再建し、国家鎮護の道場としました。明応年間(1492-1501)に長篠・築手・田峯の各城主が3千石余りの寺領を寄進しました。しかし豊臣秀吉は500石に減額させています。
 松平広忠と於大の方が鳳来寺本尊薬師如来像に子宝祈願し、懐妊して徳川家康が生まれたことから家康は篤く庇護し、寺領850石を安堵し、山林方3里を寄進しています。3代将軍家光も慶安元年(1648)から4年間にわたり諸堂を修営し、東照宮を建立、神領500石を加えています。
 山内には数多くの子院ができ、繁栄しましたが元治元年(1864)の火災で多くの堂宇を失いました。明治の神仏分離令とその後の廃仏毀釈で堂宇、坊舎が破却され、明治8年(1875)、大正3年(1914)と火災に遭い衰退しました。仁王門は国指定重要文化財、鳳来寺山は国の名勝、境内にあり分離された東照宮も国指定重要文化財です。


鳳来寺仁王門(国重文)
 鳳来寺の仁王門は入母屋造り、銅板葺き(元は檜皮葺き)の三間一戸の楼門です。3代将軍家光が諸堂を整備した時の遺構で、慶安4年(1651)に建てられています。大工は浜松大工山崎七郎兵衛でした。上層部には高欄が廻り、下層の柱は円柱で、通路となる中央柱間は吹き抜けで、左右に仁王像が安置されています。
鳳来寺仁王門
 柱上には手先を三つ前に出す三手先斗(みてさきと)を載せ、斗間の中備(なかぞなえ)には虎や獅子、麒麟等の彫刻を入れた蟇股(かえるまた)を配しています。上層の柱上には尾垂木(おだるき)付きの三手先斗を置き、正・背面の中央柱間に板扉を入れ、他は連子窓(れんじまど)としています。
鳳来寺仁王門
 仁王門の掲げられている「鳳来寺」の扁額は聖武天皇の后の光明皇后の筆と伝えられています。安置されている仁王像2体は新城市の指定文化財です。仁王門は江戸時代初期の建築手法を知るうえで大変貴重な存在で、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
鳳来寺仁王像

鳳来寺山(国名勝)
 鳳来寺山は鳳来寺の境内地で、最高峰は瑠璃山(標高695m)です。急峻で奇岩が聳え、数十mの絶景をなしている所もあります。常緑広葉樹と落葉樹で覆われ、暖地性の植物が多く、谷間には多種類のシダが茂ります。昭和6年(1931)に国の名勝、天然記念物に指定されています。
鳳来寺山


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