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愛知の旅          新城市

東照宮
とうしょうぐう
愛知県新城市門谷字鳳来寺1
Tel 0536-35-0604 (鳳来寺)


 東照宮は鳳来寺山にあり、鳳来寺とともに歩んだ神社です。日光・久能山とともに3大東照宮の一つで、徳川家康(東照大権現)を主祭神に、「鎮守三社」と称される山王権現、熊野権現、白山権現を合祀しています。
 慶安元年(1648)、3代将軍徳川家光は日光東照宮へ参拝した時「東照社縁起」を目にし、祖父徳川家康が母の於大の方が鳳来寺峯薬師に参籠して誕生したとの縁に感銘を受け、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願し、新たに東照宮を建立することにしました。
 家光亡き後、4代将軍家綱が太田資宗や本多利長、小笠原忠知等に命じ、慶安4年(1651)に東照宮社殿を完成させました。そして江戸城内の紅葉山御殿に祀られていた「御宮殿」(厨子)と神体である「御神像」(神像)を遷祀しました。
 以後、鳳来寺を別当寺と定め、神領500石を加えました。明治に入るまで、東照宮の祭事を社僧や別当が行っていましたが、神仏分離令で、新たに祠官が派遣され、鳳来寺と東照宮が分離されました。東照宮の本殿、拝殿、幣殿、中門、左右透塀、水屋が国の重要文化財に指定されています。


東照宮拝殿(国重文)
 東照宮の拝殿は間口3間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、正面に1間の向拝を付けています。拝殿の背面に角屋状に幣殿が付き、拝殿と幣殿が一体となった造りです。江戸時代前期の慶安4年(1651)に建立された建物で、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮拝殿

東照宮幣殿(国重文)
 東照宮の幣殿は、拝殿の背面に接続する拝殿と幣殿が一体となった造りです。間口2間、奥行1間、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで、本殿と同じく江戸時代前期の慶安4年(1651)に建立されました。昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮幣殿

東照宮本殿(国重文)
 東照宮の本殿は間口3間、奥行2間、入母屋造り、平入、檜皮(ひわだ)葺きで、正面に1間の向拝を付けています。棟は箱棟で、鬼板、勝男木、千木を置いています。正面に二つ折れ桟唐戸、側面と背面は板壁となっています。黒漆塗で軸部や組物に多くの金物が打ち込まれ壮麗です。
東照宮本殿
 本殿の内陣には、江戸城紅葉山御殿の「御宮殿」(厨子)が安置され、神体である「御神像」(神像)が納められています。漆塗の極彩色を施し、細部には螺鈿、蒔絵など極めて手の込んだも造りになっています。江戸時代前期の慶安4年(1651)に建立された建物で、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮本殿

東照宮中門(国重文)
 東照宮の中門は本殿の前に建てられています。檜皮(ひわだ)葺きの、一間一戸の平唐門です。本殿と同じく江戸時代前期の慶安4年(1651)に建立されました。昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮中門

東照宮透塀(国重文)
 東照宮の透塀(すきべい)は本殿の周囲を中門とともに囲んでいる塀です。左側透塀は檜皮(ひわだ)葺きの、折曲り延長25間、右側透塀も檜皮(ひわだ)葺きの、折曲り延長25間の塀です。本殿と同じく江戸時代前期の慶安4年(1651)に建立されました。昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮透塀

東照宮水屋(国重文)
 東照宮の水屋(みずや)は間口1間(2.66m)、奥行1間(1.87m)、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの吹き放しの建物です。本殿と同じく江戸時代前期の慶安4年(1651)に建立されました。昭和28年(1953)に水盤も含み国の重要文化財に指定されています。
東照宮水屋


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