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愛知の旅          豊橋市

吉田城跡
よしだじょうせき
愛知県豊橋市今橋町3−1(豊橋公園内)
Tel 0532-51-2882 豊橋市美術博物館


 吉田城は永正2年(1505)、宝飯郡の長山一色城主・牧野古白が今川氏親の命で築城し、今橋城と呼ばれました。翌年田原城主・戸田憲光に奪われ戸田金七郎が城主になりました。大永2年(1522)、古白の遺児牧野成三・信成が雪辱を果たし入城しました。この頃吉田城と改められました。
 天文15年(1546)、今川義元が戸田宣成を攻め吉田城を陥落させ、今川氏が直接支配し城代を置きました。永禄3年(1560)、義元が桶狭間の戦で討たれ、永禄8年(1565)、今川氏を離反した松平(徳川)家康が奪い、酒井忠次が入封し、戸田・牧野・西郷など東三河の豪族を従えました。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉により家康が関東に移封され、池田輝政が東三河4郡含め15万2千石で入封、吉田城、城下町の大改築、橋の架け替えなど整備しました。関ヶ原の戦の後、慶長6年(1601)に輝政は姫路に移封され、松平・水野・小笠原・久世・松平と城主が変わりました。
 明治維新後、松平信古が明治2年(1869)に版籍奉還し、明治政府下の豊橋城となり、明治4年(1871)、兵部省の管轄となり廃城、明治6年(1873)、失火により焼失しました。昭和29年(1954)に本丸に隅櫓が模擬再建され、中は資料館となっています。


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