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愛知の旅          豊川市

財賀寺
ざいかじ
愛知県豊川市財賀町観音山3
Tel 0533-87-3494


 陀羅尼山(だらにざん)財賀寺は真言宗のお寺で、観音山の中腹から山麓にかけて諸堂が建てられています。縁起によると、神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により、僧・行基が本尊千手観音像を自ら刻んで創建したと伝えられています。
 弘仁年間(810-824)に弘法大師・空海が「陀羅尼山蘇悉地院財賀寺」として中興し、真言密教の寺となったそうです。建久3年 (1192)、源頼朝は観音山頂から今宮に堂地を移して諸堂を再建させ、1300石を寄進し、三河七御堂の一つに数えられるようになりました。
 中世には隆盛を極め、七堂伽藍で多数の子院を有した財賀寺ですが、戦国期にかけ度々兵火に遭いました。応仁の乱では100余りあった子院の大半が焼失し、山外の数百もの末寺も離散したそうです。文明4年(1472)、領主の牧野古白により現在地に移され、再建されたようです。
 その後、武田、今川、牧野、徳川などの諸将から庇護をうけ、特に徳川家康からは、朱印160余、山林36町余を与えられ、10万石の大名と同じ格式に列しました。明治の廃物棄却で朱印は廃止され、寺社領上地令などで経済的に困窮しましたが、廃絶は免れ、現在まで続いています。
 財賀寺の仁王門と本殿内厨子は国の重要文化財に指定され、文政6年(1823)に再建された本堂、安政6年(1859)に再建された文殊堂、寛政12年(1800)建立の三十三観音堂は国の登録文化財です。鎮守社の八所神社の本殿は享保9年(1724)に、拝殿は文政9年(1826)に再建されています。


財賀寺仁王門(国重文)
 財賀寺の仁王門は室町時代後期の文明年間(1469-1486)頃に再建された門で、平成2年(1990)に 国の重要文化財に指定されています。寄棟造り、こけら葺きの、三間一戸楼門(二階を欠く)、中央部は吹きぬけになっています。柱、斗組、梁など当初部材の残存状況が良く、中世らしい堂々とした造りです。
財賀寺仁王門

金剛力士立像一対(国重文)
 仁王門に安置されている木造金剛力士立像は昭和55年(1980)に国の重要文化財に指定されています。檜材の寄木造りで、前後左右の4材を矧ぎ合わせて根幹部を形成し、これに両腕などに別材を矧いでいます。右の阿形(あぎょう)は高さ381cm 左の吽形(うんぎょう)は高さ375cmあり、東大寺南大門の金剛力士立像に次いで、日本で2番目の大きさを誇っています。
木造金剛力士立像

財賀寺本堂内厨子(国重文)
 文政6年(1823)に再建された財賀寺の本堂は木造平屋建て、銅板葺き、建築面積278平方mの建物です。平成26年(2014)に、国の登録文化財になっています。本堂の厨子は本尊の千手観音菩薩を安置する禅宗様厨子で、文明15年(1483)の造営で平成2年(1990)に国の重要文化財に指定されています。
財賀寺本堂

財賀寺文殊堂
 財賀寺文殊堂には、智恵文殊として有名文殊菩薩像や五大明王・地蔵菩薩像が祀られています。文殊堂は木造平屋建て、入母屋造り妻入、本瓦葺き、建築面積63平方mで、正面に向拝を付けています。安政6年(1859)に再建された建物で、平成26年(2014)に、国の登録文化財になっています。
財賀寺文殊堂


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