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福井の旅と歴史
福井の旅    あわら市

吉崎御坊吉崎寺
よしざきごぼうよしざきじ
福井県あわら市吉崎2−902


 吉崎御坊の周辺に東本願寺・西本願寺の別院、本願寺派の吉崎寺と大谷派の願慶寺などの寺院があります。記念館、資料館などもあります。
 吉崎寺は文明3年(1471)に蓮如上人が土地の領主と協力して創建した根本道場の一つだそうです。西別院(本願寺派)は延享3年(1746)、東別院(大谷派)はその翌年の建立だそうです。
 念力門は天正19年(1591)豊臣秀吉が京都の西本願寺に寄進されたものです。元治元年(1864)蛤御門の戦いの時兵火から本願寺の堂宇を守ったことから火消門とも呼ばれたそうです。
 この門は昭和24年(1949)西本願寺より御下附100名余りの信徒の人によって運ばれました。60里の道を16台の荷車で念仏のかけ声とともに運ばれたそうです。
 本堂は大きさ11間4面、総檜の紫宸殿造りです。極彩色の本尊阿弥陀如来を安置しています。延宝6年(1678)に建立されましたが、寛政7年(1795)に焼失、2年後に再建され今日に至っています。
 文明7年(1475)蓮如上人が吉崎をあとにした後、幾人かの弟子達によって遺跡が守られ、道場も設けられました。その内、山下道場が発展したものが今日の吉崎御坊だといわれています。
 吉崎御坊跡参道です。蓮如がいた室町時代からの唯一現存する参道だそうです。この参道の先には有名な嫁おどし肉附面などを展示する宝物館があります。
 嫁おどし肉附面
昔、信心深い夫婦と仏嫌いの姑がいたそうです。嫁が田畑仕事を終え吉崎へ説法を聞きに通うのを快く思わない姑は鬼の面をかぶって驚かそうとしました。
 しかし嫁は動じずに「はまばはめ 食らわば食らえ金剛の 他力の信は よもやはむまじ」と詠んだそうです。帰宅した姑は面を外そうとしましたが外れません。嫁が帰って来て、優しく改心させ信仰心を持つようになったとき、自然と面が外れたそうです。


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