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福井の旅と歴史
福井の旅    永平寺町

永平寺
えいへいじ
福井県永平寺町志比5−15
Tel 0776-63-3102
 吉祥山永平寺は横浜総持寺と共に曹洞宗の大本山です。高祖道元禅師が吉峰寺を後にして寛元2年(1244)傘松峰大仏寺を開き、寛元4年に永平寺と改めました。末寺は1万5千寺を有しているそうです。檀信徒は800万人だそうです。
 約760年の伝統を誇る永平寺には、78代住職、宮崎奕保禅師をはじめとする二百余名の修行僧が日夜修行に励んでいます。広大な敷地内には、山門、仏殿、法堂、僧堂、大庫院、浴室、東司などの「七堂伽藍」をはじめ、大小70あまりの堂宇がひっそりと佇んでいます。
 寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝の時の元号「永平」をとっています。これには「永久の和平」という意味があります。
 暦応3年(1340)には兵火で伽藍が焼失、応仁の乱の最中の文明5年(1473)でも焼失しました。
 応安5年(1372)後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を受けました。天正2年(1574)には一向一揆により焼失させられています。翌年には織田信長によって禁制を下されました。元和元年(1615)徳川幕府より法度が出され總持寺とならび大本山となりました。
 永平寺は、越前にある本山の意より越山(えつさん)とも呼ばれています。本尊は釈迦牟尼仏です。曹洞宗の念仏は、浄土真宗などの他力本願の念仏とは違って、釈迦牟尼仏に帰依するという意味の本唱名です。
 古来禅宗では伽藍の配置を人体図で説明しています。頭が法堂(はっとう)、心臓が仏殿(ぶつでん)、左手が庫院(くいん)、右手が僧堂(そうどう)、腰が山門(さんもん)、左足が浴室(よくしつ)、右足が東司(とうす)だそうです。


吉祥閣
きちじょうかく
 吉祥閣は、昭和46年(1971)に建てられた地上4階、地下1階、920坪の鉄筋コンクリート造りの建物です。檀信徒のための道場となっているようです。
 研修道場の大広間で、僧侶から見学に際し説明されます。左側通行や通路以外には立ち入らないことなど正座して聞きました。しびれた足をさすりながらここから出発します。


傘松閣
さんしょうかく
 傘松閣は、平成6年(1994)に建てられた鉄筋2階建の建物です。大広間の天井には65年ぶりに修復された天井絵がそのまま復元され、別名「絵天井の間」とも呼ばれています。天井の絵は、昭和5年(1930)当時、文展、帝展に入選した方々によって描かれています。


廻廊
 永平寺は山の斜面につくられた道場であるため、七堂伽藍は斜面をはい上がるように建てられています。七堂伽藍は、全て廻廊でつながれています。
 大小70もの廻廊は永平寺の大きな特色でもあります。滝行や水行などの場はありませんが生活することすべてがみな禅であるという道元禅師の教えで、厳しい戒律を守り、ひたすら仏の道を歩み続ける僧の姿がありました。


山門
さんもん
 永平寺の表玄関の山門は、永平寺山内では最も古い建物で、寛延2年(1749)に再建された中国唐風総欅造りの禅宗様重層楼門です。2階には、釈迦牟尼仏を中央に、十六羅漢像、五百羅漢像が安置されています。
 山門は三解脱門(さんげだつもん)とも称され、仏の世界に入る関門です。中に入ると両側に仏法の守護神である四天王が祀られています。東側には東方の守護神「持国天(じこくてん)」と北方の「多聞天(たもんてん)」が立っています。
 西側には西方の守護神「広目天(こうもくてん」と南方の「増長天(ぞうちょうてん)」が立っていて外部から進入する悪魔を追い払ってくれます。また上には「日本曹洞第一道場」の勅額が掲げられています。


鐘楼堂
しょうろうどう
 山門前にある鐘楼堂は昭和38年(1963)の改築で除夜の鐘で有名な大梵鐘は口径1.5メートル、高さ3メートル、重さ5トンの巨鐘です。左に見える五代杉は永平寺中興の祖、5世義雲禅師が植えたので「五代杉」と呼ばれています。


僧堂
そうどう
 仏殿の左側、大庫院に対している建物が僧堂です。間口14間、奥行10間の僧堂は明治35年(1902)道元禅師650回大遠忌を記念して改築されたものです。僧堂は別名、雲堂(うんどう)とか選仏場(せんぶつじょう)等とも呼ばれ、修行の根本となる堂です。
 この堂で修行僧が教えに従い坐禅、打眠(だみん)、食事をするそうです。堂は内部中央に智慧の象徴、文殊菩薩(聖僧)を祀っています。
 僧堂入口には永平寺50世玄透禅師(げんとうぜんじ)揮毫の「雲堂(うんどう)」という額や「王三味(おうざんまい)」という額が掲げられています。


仏殿
ぶつでん
 明治35年(1902)道元禅師650回大遠忌を記念して改築された総欅(けやき)造りの建物です。中国宋代様式の二重屋根と床は石畳となった大変美しい伽藍です。七堂伽藍の中心に配されています。
 仏殿は寺院の本堂にあたる建物です。須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる壇の上には本尊のお釈迦様である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が祀られています。
 釈迦牟尼仏の隣には右に未来弥勒仏(みろくぶつ)、左側に過去阿弥陀仏(あみだぶつ)の三世如来を祀っています。三体の仏像は過去・現在・未来の三世を現わしているのだそうです。国土安穏と万民和楽を祝祷する場です。
 仏殿は別名「覚王宝殿(かくおうほうでん)」あるいは「三世如来殿(さんせにょらいでん)」とも呼ばれています。仏殿の下層眉間(みけん)には永平寺50世玄透禅師(げんとうぜんじ)揮毫の「覚王宝殿」という額が掲げられています。


承陽門
じょうようもん
 承陽殿へ入る正門で「一天門(いってんもん)」とか「承陽門」、「承陽中雀門」と呼ばれ、この奥に承陽殿があります。
 承陽門正面に「照第一天」(だいいつてんをてらす)の竪額が掲げられています。


承陽殿
じょうようでん
 境内の北西隅の幽寂の地にある承陽殿は下壇の拝所と上壇の内陣に分かれています。正面「承陽」という額は明治天皇より下賜(かし)されたものだそうです。拝殿入り口の「承陽殿」という額は久我道久の揮毫です。
 承陽殿は明治14年(1881)の改築で、永平寺の開山道元禅師(承陽大師)の御開山御真廟(ごかいさんごしんびょう)(お墓)であり、曹洞宗の聖地とでもいうべき場所です。
 土蔵造りの本殿(間口3間、奥行4間)と拝殿(間口6間、奥行7間)とに区別されています。正面左には尽力した越前志比庄地頭の波多野義重の像も安置しているそうです。


法堂
はっとう
 法堂は住職が須弥壇(しゅみだん)上に登って修行僧に説法をする場所だそうです。天保14年(1843)永平寺57世載庵禹隣禅師(さいあんうりんぜんじ)の改築です。
 法堂は一般のお寺では本堂に相当します。正面32.2m、側面24.7m、380畳敷と、七堂伽藍の中では最大規模の壮大な建物です。客殿を兼ね、朝課(おつとめ)や法要儀式も行なわれているそうです。
 須弥壇の中央には藤原時代作の聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を祀っています。中央階段の左右には阿吽(あうん)の白獅子(しろじし)が置かれています。
 永平寺の伽藍で一番高いところにあるので四季折々の美しい景色が眺められます。法堂眉間に有栖川宮幟仁親王(ありすがのみやたかひとしんのう)筆による「法王法(ほうおうほう)」という額が掲げられています。
 これは世尊一日しん座、文殊白鎚して云く、諦観法王法王法如是という故事からきています。仏の無言の説法を文殊が証明白追(びゃくつい)した時の語、「諦観法王法(たいかんほうおうほう)法王法如是(ほうおうほうにょぜ)」によるものです。


大光明蔵
だいこうみょうぞう
 昭和5年(1930)に再建されたもので、総檜本造りで桃山時代の形式に準じた格式のある建物です。貫首の表方丈です。畳298枚の大広間で住持が公式に来山寺院や檀信徒と相見します。


妙高台
みょうこうだい
 大光明蔵の後ろにあります。法堂より通天廊を通って妙高台に行かれます。貫首の方丈にあたります。この建物は昭和55年の二祖弧雲懐奘禅師700回忌を記念して改築されたそうです。


浴室
よくしつ
 浴室は、僧堂、東司とともに三黙道場の一つです。私語の禁じられた修行道場で身体だけでなく心をも清浄にすることを念じて沐浴します。水印三昧で悟りを開いたといわれる跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)が祀られています。 


大庫院
だいくいん
 東側の回廊を登った所に在る建物が大庫院です。僧堂に対しています。昭和5年(1930)に改築され地下1階地上4階、延べ750余坪の豪壮な建築物です。一般の寺院でいう庫裡(くり)にあたります。 
 一階には仏祖供養の献膳や禅師や衆僧の食事を作る典座寮と呼ばれる台所があります。玄関の正面には足の速いことで有名な章駄尊天(いだそんてん)が祀られています。
 庫院の入口には永平寺50世玄透禅師(げんとうぜんじ)揮毫の「庫院(くいん)」という額があり、また中にはいると永平寺67世元峰禅師(げんぽうぜんじ)の筆になる「法喜禅悦(ほうきぜんえつ)」という額が掛けられています。


中雀門
ちゅうじゃくもん
 中雀門は、嘉永5年(1852)の新築で、山門と仏殿の間にあり、左右に続く廻廊は僧堂と庫院に通じています。永平寺山内で、最も優美な姿をしていると思います。
 中雀門は、仏殿と山門の一直線上に置かれ、仏殿への正門であり、南面しています。山門とともに県の文化財に指定されています。


祠堂殿
しどうでん
 祠堂殿は全国各地の末派寺院による檀信徒の入牌(にゅうはい)、納骨をする殿堂です。堂内の位牌壇には各都道府県別に分けられた多くの位牌が祀られています。昭和5年(1930)に新築されたもので、追善供養などの法要も行われます。


報恩塔
ほうおんとう
 報恩塔は納経塔ともいわれています。宮崎奕保(えきほ)禅師の発願により平成8年(1996)に建立された写経を納める塔です。


唐門
からもん
 参道の前方奧に見えるのが唐門です。勅使門とも呼ばれ、勅使を迎えるために備えられた門で日頃は扉を固く閉ざしています。天保10年(1839)の改築で、門扉には菊花の紋章が輝いています。豊かな彫刻が施されています。




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