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福井の旅と歴史
福井の旅    福井市

一乗谷朝倉氏遺跡
いちじょうたにあさくらしいせき
福井県福井市城戸ノ内町
Tel 0776-41-2173


 福井市の南東約10キロ、一乗谷にある朝倉氏遺跡は、戦国時代に朝倉氏5代が103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡です。戦国時代の城下町が現代によみがえっています。
 文明3年(1471)戦国大名朝倉孝景は応仁の乱で頭角を現し、守護斯波氏や守護代甲斐氏を追放、越前を押領し、守護職に就くと同時により軍事環境に適した一乗谷に本拠を移したのでした。
 朝倉氏は孝景、氏景、貞景、孝景、義景と続き越前を支配しました。京の文化を積極的にとり入れ北陸の小京都とも呼ぶべき城下町を築いたのです。
 弱冠13歳で、当主になった義景は文武に優れ、後に15代将軍になった足利義昭を迎え歓待し一乗谷は黄金時代を迎えました。近江・浅井長政と共に反信長の戦いを挑みましたが、刀禰(とね)坂の戦いで大敗してしまいました。
 敗れた義景は大野に逃れましたが、一族の朝倉景鏡の裏切りにあい自害してしまいました。一乗谷は 天正元年(1573)信長勢によって火を放たれ、城下は三日三晩燃えつづけ栄華の永い歴史を閉じたのでした。
 信長から越前を任された柴田勝家は国府を北ノ庄(現在の福井市中心部)に構えたので、一乗谷は長い間、歴史から忘れ去られていたのです。
 昭和42年(1967)に奈良国立文化財研究所の指導で本格的な発掘調査で当時の姿がよみがえりました。
 これによって、当時山の斜面に当主や妻子の館があったことが判明し武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘されたのです。
 約400年ぶりに当時の生活文化を物語る茶器、文具、火縄銃、札、職人の道具など150万点にも及ぶ貴重な遺産も発見されました。
 その極めて貴重な歴史的価値から昭和46年山城跡を含む延べ278ヘクタールが「特別史跡」に指定され、平成3年には遺跡内の南陽寺、湯殿、諏訪、朝倉義景館跡の4つの庭園が「特別名勝」に指定されました。
 朝倉館跡庭園などが一般公開されています。また当時の歴史文献を参考に復元した武家屋敷や商家なども再現されています。
 唐門(からもん)です。朝倉義景館跡の正面、濠に面して建っています。江戸時代中頃に再建されたこの門は5代朝倉義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門です。幅2.3メートルの向唐門形式で、質素な中にも堂々とした気品をたたえています。


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