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福井の旅と歴史
福井の旅    勝山市

平泉寺白山神社
へいせんじはくさんじんじゃ
福井県勝山市平泉寺町平泉寺56−63
Tel 0779-88-1591


 白山は富士山、立山とともに日本の三名山の一つです。白山は神々の宿る山として山岳信仰の対象となっていました。白山神社は養老年間(720年頃)泰澄(たいちょう)大師が創建した古社で平泉寺はその別当寺です。
 平泉寺は平安時代末期に比叡山延暦寺の末寺としてその勢力を強めてきました。その後、鎌倉・室町時代には、広大な9万石の寺領を有し48社、36堂、6千坊、僧兵8千人といわれるほど政治的・兵力的に黄金時代を迎えました。
 隆盛を誇った平泉寺でしたが一向一揆により一度壊滅させられました。その後桃山から江戸時代に復興され、明治の神仏分離令により神社の方のみ残ったのです。


旧玄成院庭園
 旧玄成院(賢聖院)はもと白山の別当の住んでいたところです。建物は安永7年(1778)に建立たそうです。
 この庭園は室町末期の細川高国の作庭、鮮苔に囲まれ、曲水庭園の様式が取り入れられています。文部省指定名勝にされています。


御手洗池
みたらしいけ
 泰澄大師が養老元年(717)白山登拝の途中この林泉を見つけたそうです。泉の中の影向岩(ようごういわ)に現れた大神から「神明遊止の地なり」という告げを受けたためここに社を建てて白山の神を奉齋されたと伝えられています。
御手洗池
 神泉は今も湧き出ているそうです。平安時代平泉寺は平清水とも呼称されていて寺の名の由来はここからきているのだそうです。
 御手洗池の東には神木である三叉杉がそびえたっています。泰澄大師が植えたものとされています。幹は途中から3本に分かれ白山三社をかたどる形になっているそうです。
 左の鳥居は日本で一番古いそうです。
 平泉寺の僧兵は後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に呼応して大野郡牛ヶ原の地頭を攻め滅ぼしたそうです。また平泉寺出身の三光坊は能面師の祖とされ有名です。


拝殿
 源義経ゆかりの平泉寺白山神社の拝殿は、天正2年(1574)兵火にかかって焼失するまで、正面45間というわが国最大の規模だったそうです。左右に残る巨大な礎石が規模の雄大さを物語っています。
拝殿
 正面入口にかかる「中宮平泉寺」の額は一品天眞親王の筆です。拝殿内の絵馬は越前藩主松平家以下の奉納で桃山以降の逸品です。
拝殿


本殿
 平泉寺白山神社の御本社(本殿)です。寛政7年(1795)福井藩主松平重富によって再建されたものです。総欅の入母屋造で正面に千鳥破風をつけています。そして前のひさし部分の向拝を唐破風としています。
本殿
 昇り龍、降り龍の丸彫、壁面の浮彫も秀逸でこの地方にはめずらしい華麗な建築です。御本社を中心に右に別山社、左に越南知社(おおなむちしゃ)を配しているのは白山三山のそれぞれの神を祀っているからだそうです。
本殿
 今は失われていますが、中世から近世には金剱社(かなつるぎしゃ)と加宝社(かほうしゃ)もあり、5社が整然と建ち並ぶさまは壮観であったと思われます。
本殿
 源義経が兄頼朝に追われ奥州平泉に落ちのびる途中この白山平泉寺に詣でたことが「義経記」に書かれています。
本殿


納経所
 納経所です。越前ではここにしかありません。平安の頃より66部といって滅罪の経典である法華経を写経して、その一部を日本66ヶ所の神社に納めながら諸国を巡礼したそうです。
納経所
 境内にある結(むすび)神社の傍らには「天下泰平 日月晴明」「大乗妙典六十六部廻國供養塔」と刻した石碑も建っています。
白山禅定道平泉寺登拝口


三ノ宮
 ここから本殿を右手に苔のじゅうたんをもう少し登ると安産祈願の三ノ宮があります。この建物は明治22年(1889)の改築だそうです。
三ノ宮
 三ノ宮は安産の守護神として信仰が厚いところでした。ここ白山平泉寺では昔から安産のお守りとして岩田帯を領布しているそうです。
三ノ宮


楠木正成墓塔
 楠木正成の墓塔です。延元年間の建立だといわれています。周囲の石柵と参道は寛文8年(1668)越前藩主松平光通公が奉納したものだそうです。白山平泉寺は醍醐天皇の建武の中興に際して、北条氏の一族を大野郡牛ヶ原に攻め滅ぼしたりして、官軍との関係が密接でした。
楠木正成墓塔
 楠木正成の甥恵秀律師(えしゅうりつし)は平泉寺宗徒の一人だったそうです。楠木正成は後醍醐天皇のため足利尊氏に立ち向かいました。延元元年(1336)わずか数百名で足利の大軍勢を迎え討つため兵庫に出陣し奮戦しました。
楠木正成墓塔
 延元元年(1336)恵秀律師がここの三之宮に参詣していると夢に大楠公が騎馬姿で現れたそうです。やがて大楠公が湊川で戦死したことを知りその場所に五重の石塔を立てて菩提を弔ったのだそうです。
 芭蕉句碑

「うらやまし 
  浮き世の 北の 山桜」
 凡河内躬恒は白山について、次のように詠んでいます。
 よそにのみこひやわたらん白山の
 雪みるへくもあらぬ我身は


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