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福井の旅と歴史
福井の旅    小浜市

常高寺
じょうこうじ
福井県小浜市小浜浅間1
Tel 0770-53-2327


 常高寺は、江戸時代初期の小浜藩主京極高次の妻、常高院の発願によって建立された寺です。臨済宗妙心寺派で凌霄山(りょうしょうざん)常高寺と号します。
 常高院はお初の方が夫の死後出家した時の名前です。お初の方は信長の妹のお市の方の次女です。寛永7年(1630)に建設に着手し、小浜出身の槐堂周虎(かいどうしゅうこ)禅師を迎えて開山しました。
 お初の父親は浅井長政、母はお市の方、姉は秀吉の側室・淀殿で、妹は徳川二代将軍秀忠の正室・お江なのです。
 お初の方二十歳の時、秀吉のとりなしで、没落した名門佐々木京極家の嫡男で、当時は秀吉の一部将として台頭しつつあった京極高次のもとに嫁ぎました。
 関ヶ原の合戦においては、近江滋賀郡大津城6万石の城主であった高次は徳川方につき、合戦の功により若狭8万5千石を受領して小浜城主となったのでした。高次は病のため47才という若さで小浜城で没してしまいました。お初の方は出家して忠高が二代目城主となったのでした。
常高院墓所
 京都・方広寺の梵鐘の銘「国家安康・君臣豊楽」をきっかけに起こった1614年大阪冬の陣で、お初が家康に和睦の使者を申し出ました。お初の調停により大阪城の外堀を埋める事で和解が成立したのです。元和元年(1615)起きた大阪夏の陣でもお初は和平と姉・淀殿の救助を目指して豊臣・徳川間を幾度も往き来しました。お初が姉・淀殿に最後の別れを告げて大坂城を去ったのは元和元年(1615)4月7日、大坂城落城は翌8日でした。
常高院墓所


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