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福井の旅と歴史
福井の旅    坂井市

丸岡城(霞ヶ城)
まるおかじょう(かすみがじょう)
福井県坂井市丸岡町霞町1−59


 丸岡町の中心部の丘にたつ丸岡城の威厳ある天守閣は現存する天守閣では最古であるそうです。天守閣は昭和9年(1934)に国宝に指定されました。
 昭和23年(1948)福井大震災で城は倒壊してしまいました。その古材を70%も使い昭和25年(1950)に修復再建されたのです。現在は国の重要文化財に指定されています。
 天正3年(1575)、織田信長は北陸地方の一向一揆を平定するため大軍を派遣しました。丸岡の東方4kmの山中にあった豊原寺を攻略し焼き払いました。信長は柴田勝家に越前の国を与えたのです。
 丸岡城は、勝家の甥の柴田勝豊が天正4年(1576)北ノ庄城(福井)の支城として築城されました。丘の上の本丸を中心に二の丸、東の丸連郭式に設けられ、その周囲を五角形の内堀で囲んでいます。2層に見える内部は3階建てで望楼型天守閣です。屋根が笏谷石製瓦という珍しい瓦で葺かれています。
  柴田勝豊以後、安井家清、青山修理亮、青山忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となりました。
 石製の鯱(しゃち)です。もともとは木彫銅板張りのものでしたが昭和15年から17年の修理の時に石製の鯱に改めたそうです。昭和23年の福井大震災で棟より落下してしまったそうです。今の鯱は木彫銅板張りを復元しています。
 春は日本のさくら名所百選にも認定された400本のソメイヨシノが古城に美しさをそえます。天守閣石垣のそばに、本多作左衛門が書き送った「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」の書翰碑が建てられています。


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