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福井の旅と歴史
福井の旅    敦賀市

氣比神宮
けひじんぐう
福井県敦賀市曙町11−68
Tel 0770-22-0794


 「けいさん」の愛称で親しまれる気比神宮は元の官幣大社で北陸道総鎮守・越前国一之宮です。平安時代中期にまとめられた延喜式神明帳に名神大社として名を残している古社なのです。
 国道8号線に面して 朱塗りの大鳥居がひと際目を引いています。この木造の大鳥居は奈良の春日大社、広島の厳島神社と並ぶ、日本三大鳥居に数えられているのです。
 旧国宝の気比の大鳥居は高さ11mもあり国の重要文化財に指定されています。この大鳥居は通称赤鳥居として嵯峨天皇弘仁元年(810)の造営時に東参道口に創建されたそうです。
 その後、度重なる災害に依り倒壊したために、正保2年(1645)境域の西門に移して佐渡国鳥居ヶ原から伐採奉納の榁樹一本で両柱を建て再建されたそうです。
 正面の扁額は 有栖川宮威仁親王の筆によるものです。「氣比神宮例大祭」は氣比の長祭として有名です。毎年9月2日の宵宮に始まって 15日まで続きます。特に、3日の神幸祭では市内一円が賑わいをみせます。
 内鳥居の奥に見えるのが本殿です。伊奢沙別命(いざさわけ)、帶仲津彦命(たらしなかつひと)、日本武命・譽田別命(やまとたける・ほんだわけ)などの五神が奉られています。
 伊奢沙別命は、笥飯大神(けひのおおかみ)とも称され、太古よりこの地に鎮座し、文武天皇の勅命により大宝2年(702)に社殿が造営されたといい伝えられています。
 神領は越前、若狭、近江、佐渡まで及び祠官は強大な勢力を誇っていました。南北朝時代には大宮司氣比氏治、斎晴親子が南朝に味方し、金ガ崎城に篭りました。
 延元2年(1337)3月、足利尊氏方の高師泰らの総攻撃で金ガ崎城は落城しました。後醍醐天皇の長男である尊良(たかなが)親王、新田義顕らとともに氣比親子は殉じたのでした。
 遊行真教上人は気比神宮の参道がぬかるみ、参詣の人々が難渋していたので、砂を運んで参道整備しました。芭蕉はこのことを「なみだしくや 遊行のもてる 砂の露」「月清し 遊行のもてる 砂の上」と詠んでいます。


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