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福井の旅と歴史
福井の旅    敦賀市

武田耕雲斎墓所
たけだこううんさいぼしょ
福井県敦賀市松島町2


 元治元年(1864)11月1日、水戸藩天狗党は、攘夷の志を朝廷に訴えようと挙兵し、京に向かって中山道を進みました。リーダーの武田耕雲斎は藤田東湖の四男・藤田小四郎らが筑波山の挙兵したときには時期尚早とこれをいさめたのですが、この期に行動を共にする道に進みました。
 武田耕雲斎正生は9代藩主徳川斉昭の家老も務めた重臣でした。斉昭の死後、盛り上がった尊攘激派の運動を抑えるため、復職しました。文久元年に過激派による東禅寺の英国公使館襲撃事件が起り、責任を負って謹慎に処せられていました。
 美濃鵜沼宿(岐阜県各務原市)辺りまできたとき、進路上の長良川対岸一帯に、幕府から追討命令を受けた彦根藩、大垣藩、桑名藩などの諸藩が軍勢を繰り出し、待ち受けていることを知り越前方面へ進路を変更したのでした。
 天狗党が大野藩領へ進入してきたとき、藩主土井利恒は江戸に在役中でした。藩では藩兵を召集し、天狗党が宿泊や食料調達ができないよう、道筋に当たる西谷郷の村々の民家を焼き払ったのです。
 12月11日に敦賀の新保に到着しましたが、幕府軍の包囲は厳しく進軍を諦め800人を超す一行は幕府軍に降伏したのでした。353人が翌年2月、松原で日本史上例をみない大量処刑されたのでした。
 神社の向かい側には、武田耕雲斎の銅像や水戸烈士の墓が建ち並んでいます。松原神社には天狗党一行が幕府に監禁されていたニシン蔵が記念館として残っています。


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