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福井の旅と歴史
福井の旅    敦賀市

常宮神社
じょうぐうじんじゃ
福井県敦賀市常宮13


 敦賀半島の中ほどにある常宮神社は明治維新までは常宮大権現と称して氣比神宮の奥社でした。明治9年(1876)独立して常宮神社となったそうです。
 大宝3年(703)勅命により社殿を修造したと伝えられているそうです。本殿は慶長7年(1602)福井藩主結城秀康が造営しましたが、現在のものは正徳3年(1713)に再建されたものだそうです。
 正面3間(6m)、側面2.5間(5m)向拝1間の前室付三間社流造の形式を持つ比較的大形の建物です。
 身舎(もや)は円柱、前室及び向拝は角柱とし、前室床は身舎に対し一段低くなっています。正面の木階は七級の木口階段で、浜床を設けています。
 前室正面は中央間と両側面が板扉、両脇間を蔀(しとみ)で造られています。身舎は正面中央が板扉で、両脇間を杉戸引違として両面と背面は板壁で造られています。
 ご祭神は神功皇后です。気比神宮の仲哀天皇の妻で、「お産の常宮さん」としてあがめられています。例祭は毎年7月22日で気比神宮の総参祭(そうのまいりのまつり)の日でもあるそうです。
 仲哀天皇と神功皇后が熊襲の反乱を聞いて、天皇が先に九州に向かい、皇后が6月乙卯日に海路で後を追ったという神事を再現するものだそうです。
 仲哀天皇の御神体が船に乗って祭神の神功皇后に逢いに来るのです。常宮神社は地元では安産の神様として知られ「お産の常宮さん」としてあがめられているのです。
 仲哀天皇は陸路から筑紫(福岡県)に向かった時、神功皇后は角鹿(つぬが)にとどまりました。皇后は「常に居宮し波静かなる哉楽し也。」といわれたことから「常宮」という名が付いたそうです。
 常宮神社境内には文政5年(1822)に建てられた芭蕉句碑があります。
    「月清し 遊行の持てる 砂の上」
 氣比神宮でも紹介しましたが常宮神社は明治維新までは氣比神宮の奥社でしたので同じ芭蕉句碑があるのです。
 遊行真教上人は気比神宮の参道がぬかるみ、参詣の人々が難渋していたので、砂を運んで参道整備したのです。それ以来、時宗本山(藤沢市清浄光寺)の上人が交代するたびに、「遊行上人のお砂持ち」の行事が敦賀の御影堂前町で行なわれているそうです。
 また常宮神社には朝鮮ノ役より凱旋した敦賀藩主大谷刑部吉継が奉じたといわれている高麗鐘(朝鮮鐘)があります。全高111.1m、口径66.3cmの新羅時代の鐘です。国宝に指定されています。
 朝鮮鐘は滋賀県大津市の園城寺、宇佐八幡宮、東照宮なども鐘も有名で重要文化財に指定されていますが、この常宮神社の鐘は唯一の国宝だそうです。韓国にある鐘も含めても3番目に大きく極めて美術的価値の高いものだそうです。


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