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岐阜の旅
恵那市明智町
明知城
あけちじょう
岐阜県恵那市明智町
明知城は白鷹城(しらたかじょう)と呼ばれる戦国時代の山城で、恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭です。宝治元年(1247)に明知遠山氏の始祖、景重が明知を本拠地とし、戦国時代には本格的な山城になったようです。
「明知遠山氏」は「岩村遠山氏」、「苗木遠山氏」とともに「遠山三頭」と呼ばれ、美濃国東濃地方に勢力を拡大させていました。明知城は、明知遠山氏代々の居城でしたが、豊臣秀吉の武将の森可長、森忠政、原土佐守などが城主に変わりました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで原土佐守の主君・岩村城主の田丸直昌が大坂城城番となり西軍に味方したため、遠山利景が嫡男の遠山方景とともに城を奪還し東美濃を平定、岩村城をも開城させました。慶長8年(1603)、利景は、恵那・土岐郡内で6531石を与えられ旗本となりました。
元和元年(1615)、一国一城令により旗本2代領主であった遠山方景に江戸屋敷が与えられ、明知城は廃城となりました。そして城下大手門近く(北西側麓)に明知陣屋を構えることになりました。
明知城跡(岐阜県指定文化財)
あけちじょうせき
明知城跡は町並みの東にそびえる標高530mの城山の上にあります。現在公園となり、散策道も付けられています。石垣は多く見られませんが、多くの曲輪、堀切などが残されています。
明知城跡
山頂の2つの曲輪と出丸を中心として、東西400m・南北300mの城山の全域に広がっています。尾根伝いの敵の侵入を防ため尾根を断ち切って設けた堀である堀切や、石や土塁を築いた曲輪、横堀など工夫されています。
明知城跡
明知城陣屋跡
明知城陣屋跡は、大手門近くにあります。 明知城は廃城となり、遠山利景は陣屋を設け、参勤交代をする交代寄合の旗本になりました。延宝6年(1678)以降は江戸定府となり、陣屋は代官村上氏が管理して明治まで続きました。
明知城陣屋跡
万ケ洞天神神社
万ヶ洞にある天神神社は、明智光秀が若かりし頃、京都嵯峨天竜寺の雲水・勝恵を招き、ここで学問に精進したといわれています。祭神は菅原道真で、京都北野の天満宮からの分祀と伝えられています。なお、明知城は、明智光秀の生誕の城といわれていますが、可児市にある明智長山城である可能性が高いとされています。
万ケ洞天神神社
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