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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           下呂市

久津八幡宮
くづはちまんぐう
岐阜県下呂市萩原町上呂2345−1
Tel 0576-52-1240


 久津八幡宮は仁徳天皇65年(377)、鬼神・両面宿儺(りょうめんすくな)を成敗した武振熊命(たけふるくまのみこと)が、この地に応神天皇を祭祀したのが始まりと伝えられています。平治元年(1159)、河内源氏の棟梁である源義朝の長男である源義平がこの地を訪れ、鶴岡八幡宮の分霊を勧請したといわれています。
 久津八幡宮の社殿は応永19年(1412)、飛騨国の領主・白井太郎俊國によって再建され、天正9年(1581)、当時の飛騨国の領主・三木自綱によって拝殿は再建されています。万治2年(1659)には高山藩4代藩主・金森頼直によって社殿が修復されています。
 久津八幡宮は古くから飛騨二ノ宮、南飛騨国総鎮守として広く崇敬されました。歴代飛騨国主や、高山城の城主金森家、高山陣屋の代官、郡代から信仰され、社領の安堵や社殿の修復がなされました。飛騨以外の越中、美濃からも多くの信者が集まったそうです。
 久津八幡宮本殿、拝殿は国の重要文化財に指定され、夫婦杉は国の天然記念物です。久津八幡宮祭礼記録は岐阜県指定有形民俗文化財、平安時代の狛犬と、鎌倉末期の書写大般若経は下呂市指定文化財、本地仏開扉に関する文書並びに関連資料は下呂市指定有形民俗文化財にそれぞれ指定されています。

久津八幡宮本殿(国重文)
 久津八幡宮の本殿は応永19年(1412)に当時の飛騨国領主・白井太郎俊國によって再建された社殿です。こけら葺きの、三間社流造りで、飛騨の匠の流れを汲む美濃国関の武澤茂右衛門利久が造ったとみられます。南妻蟇股に施された「鳴いた鶯」の彫刻は有名で、美しい鳴き声を出し石を投げると鳴くのを止めたという伝説が残っています。軒札とともに昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。
久津八幡宮本殿

久津八幡宮拝殿(国重文)
 久津八幡宮拝殿は天正9年(1581)、当時の飛騨国領主・三木大和守自綱が再建した社殿です。間口5間、奥行4間、一重、入母屋造り、こけら葺き、壁は吹き放し、素木造りです。飛騨の匠・桂川孫兵衛が手掛けています。
久津八幡宮拝殿
 拝殿に施された「水を呼ぶ鯉」の彫刻は度々益田川の氾濫を導いたため、対面に「矢」の彫刻を施すと氾濫が起こらなくなったと伝えられています。軒札とともに大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。
久津八幡宮拝殿

久津八幡宮夫婦杉(国指定天然記念物)
 久津八幡宮夫婦杉は社殿に向かって左側に立つ雄杉、石鳥居のすぐ上に立つ雌杉ともに周囲12.5mの巨木で推定樹齢は1500年といわれています。樹高38mとなっていますが、昭和9年(1934)の室戸台風で幹の上部が折れてしまい、10mぐらいに見えます。昭和3年(1928)に国の天然記念物に指定されています。
久津八幡宮夫婦杉

久津八幡宮神輿
 久津八幡宮にある神輿は宝暦2年(1750)に造られたものです。疫病消散祈願のため、上呂村より寄進奉納されたものです。四面に鳥居を配し、漆塗りを施した煌びやかな神輿が2体あります。例祭には拝殿の周りを周回します。
久津八幡宮神輿


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