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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           岐阜市

伊奈波神社
いなばじんじゃ
岐阜県岐阜市伊奈波通り1ー1
Tel 058‐262‐5151


 伊奈波神社は金華山と尾根続きの稲葉山麓に鎮座しています。平成27年(2015)、「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定されています。旧国幣小社で社伝によると五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)が東国討征の折り、この地に館を構えたのが始まりとされています。
 五十瓊敷入彦命は第11代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第12代景行天皇の兄にあたります。飛鳥時代の672年に起こった壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)が伊奈波神社で戦勝を祈願し勝利後、厚見郡一円を社領として寄進したと伝えられています。
 当初は現在の岐阜公園丸山にありましたが天文8年(1539)、斎藤道三が稲葉城の築城の折、現在地に遷座したようです。その際、この地にあった式内社の物部神社を合祀しています。
 以来、城地鎮守神として織田・徳川氏から崇敬され、地元の氏神として広く敬われました。明治6年(1873)に県社、昭和14年(1939)に国幣小社に列しています。家内安全、商売繁盛、初宮詣、七五三詣、安産、交通安全のほか、土建、水利などの参拝にも多くの方が訪れるそうです。

伊奈波神社楼門
 伊奈波神社の楼門は間口3間、奥行2間、入母屋造り、銅板葺きの、三間一戸の八脚楼門です。柱はいずれも円柱で、3つの柱間の中央が通路となっています。下層部の正面左右には随神像ではなく、奉納された酒樽が安置されています。
伊奈波神社楼門

伊奈波神社神門
 伊奈波神社の神門は一間一戸の四脚門で、切妻造り、銅板葺きです。門扉は桟唐戸で、菊花の紋がついています。主柱と控柱のあいだには花狭間があります。神門の左右には回廊が繋がっています。回廊は2つの切妻を組み合わせた形式で、銅板葺きです。
伊奈波神社神門

伊奈波神社拝殿・幣殿・本殿
 伊奈波神社の拝殿は間口5間、入母屋造りの木造平屋建て、檜皮葺き、平入で、外壁は真壁造板張りです。柱はいずれも円柱で、柱間は板戸と蔀が使われています。神社建築にはめずらしく、土間の床となっています。幣殿は間口3間、奥行2間の木造平屋建て、入母屋造り、檜皮葺き、平入です。本殿は三間社入母屋造り、檜皮葺き、平入です。
伊奈波神社拝殿

岐阜東照宮
 岐阜東照宮の祭神は徳川家康です。江戸時代に岐阜奉行所に祀られていましたが、明治に入り、伊奈波神社の境内に遷座されました。和歌三神社・須佐之男神社・天満宮と合わせ4社が合祀されていましたが、令和3年(2021)に新宮が新たに造営され、遷座しています。
岐阜東照宮

金山神社
 金山神社は鉱山や治金を司る祭神の金山彦命を祀っています。古縁起では景行天皇の勅命により、「金石」という鏡を破る不思議な神石が命によって奥州から美濃に運ばれたと記されています。この「金石」が一夜にして山となり、そこへ命と王子達が隠れたそうです。この山が「金石」によってできた事から「金山」と呼ばれ、後に「稲葉山」となったそうです。
金山神社

黒龍神社
 黒龍神社の祭神は黒龍大神です。黒龍神社は、天文8年(1539)に伊奈波神社が丸山の地からここに遷座される以前から当地に鎮座されていました。黒龍大神は活発で行動的な神霊であり、パワースポットにもなっています。
黒龍神社

伊奈波神社忠魂碑
 伊奈波神社にある忠魂碑は日露戦争で亡くなった岐阜県下の戦病死者3873柱の英霊を祀っています。忠魂碑には乃木希典大将により書かれた文字、「明治37・8年戦役岐阜縣下戦病死者忠魂碑」が刻まれています。
伊奈波神社忠魂碑

楓稲荷神社
 楓稲荷神社は伊奈波神社の入口近くにあります。祭神は宇迦之御魂神です。事業繁栄・商売繁盛を願う人のお参りが多く、崇敬者の方々からの朱塗りの鳥居の奉納も多くあるそうです。
楓稲荷神社

伊奈波神社石造狛犬(県重文)
 伊奈波神社にある石造狛犬は天正4年(1576)に多和田新八直房が伊奈波神社に諸願成就の為に奉納したものです。像高は吽形が31.0cm、阿形が29.0cmです。このような形式の狛犬は岐阜県内に少なく貴重な事から昭和47年(1972)に岐阜県の重要文化財に指定されています。
伊奈波神社石造狛犬


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