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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           神戸町

日吉神社
ひよしじんじゃ
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸1
Tel 0584-27-3628


 弘仁8年(817)、当時の領主・安八太夫安次の願いにより最澄がお寺である善学院を建て、近江坂本の山王社を勧請して日吉神社を建てたと伝えられています。日吉神社というのは7つのお宮全体を指しています。
 本殿に当たる日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮です。5月3、4日に行われる山王祭りにはこの7つの神様を神輿に乗せて練りまわします。
 惣門を入るとすぐ右側に日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。奥の神輿殿までの間に、右側には中ノ坊跡、十光坊跡、福泉坊跡、浄光坊跡、牛石、竃殿神社があり、その右側に三重塔、火祭りの庭、石舞台の庭があります。
 左側には常楽坊跡、蓮華院跡、西門、法光坊跡、十輪院跡があり、産石、大物忌神社と続きます。神輿殿の奥の左側には日吉三の宮、日吉牛尾の宮があり、正面後ろに左から随神、日吉二の宮、日吉宇佐の宮があります。
 中央に本殿にあたる日吉大宮が鎮座し、その右には日吉客人の宮、日吉樹下の宮、随神となっています。日吉神社は古くから神仏習合し、別当は神護寺(善学院)が勤め最盛期には社僧8坊を擁していました。明治の神仏分離令で神社として独立し、大正2年(1913)に県社に列し、戦後は金幣社に指定されています。

日吉神社三重塔(国重文)
 日吉神社の三重塔は神仏混淆の思想に基づき平安時代に建立されました。その後、永正年間(1504-1520)に春日局の父の叔父になる斉藤利網が再建したといわれています。天正13年(1585)には春日局の叔父になる稲葉一鉄によって改修されています。
日吉神社三重塔
 三重塔は間口3間、奥行3間、宝形造り、檜皮葺きの三間塔婆で、相輪頂上までの高さは24.6mもあります。戦国の兵火を免れ、天正、貞享、文政、明治に修理をされています。室町時代の貴重な三重塔で、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。
日吉神社三重塔

日吉神社本殿(県重文)
 日吉神社本殿は大己貴神を主神として祀っています。棟札により寛永7年(1630)に尾張藩初代藩主徳川義直が再建したことがわかります。間口3間、奥行3間の三間社流造り、檜皮葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。昭和33年(1958)に岐阜県の重要文化財に指定されています。
日吉神社本殿

日吉神社石造狛犬(国重文)
 日吉神社の石造狛犬は収蔵庫に納められています。レプリカは本殿の前に置かれています。西保城主であった不破河内守光治により天正5年(1577)に寄進されています。稲葉一鉄らとともに「西美濃四人衆」と称された人物です。この狛犬は岐阜県内に現存する石造狛犬の中で、唯一国の重要文化財に指定されています。
日吉神社石造狛犬

宇佐の宮神輿(県重要有形民俗文化財)
 惣門を入るとすぐ右側にう日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。この神輿は日吉神社祭典行事で担がれ、5番目に渡御する神輿です。笹鉾に飾ってある金物は葵の紋、胴体の柱の金物は上部に巻雲模様、下部は波の模様を金で刻んでいます。貞享4年(1687)に造られたもので県の重要有形民俗文化財に指定されています。
日吉神社宇佐の宮神輿

日吉樹下の宮神輿(県重要有形民俗文化財)
 日吉樹下の宮神輿は貞享4年(1687)に造られていて県の重要有形民俗文化財に指定されています。祭神は鴨玉依姫神で本体は四角形です。柱の金物には前部に岩に戯れる獅子と笹の葉などの青銅の彫刻が施されています。渡御の時は2番目に担がれます。横町の氏子が管理しています。
日吉樹下の宮神輿

神戸山王まつり(県重要無形民俗文化財)
 神戸山王まつりは勇壮、豪快な火まつりです。深夜零時に御拝殿から、日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮の7社の神輿(すべて県重要有形民俗文化財)が次々と担ぎ出されます。 参道大鳥居前の琵琶湖になぞらえた川をいっきに渡り、お旅所へとお渡り(渡御)になる神事です。岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されています。
神戸山王まつり


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