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岐阜の旅と歴史
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郡上八幡城
ぐじょうはちまんじょう
岐阜県郡上市八幡町柳町一の平
Tel 0575-67-1819 郡上八幡産業振興公社


 郡上八幡城は吉田川、小駄良川を自然の濠とし、要害の標高354mの八幡山山頂に建てられています。現在の城は、昭和8年(1933)に建立された模擬天守閣です。天守台跡に大垣城をベースに4層5階の天守閣・隅櫓・高塀が木造建築で再建されています。
 永禄2年(1559)、千葉氏の末裔・遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまりです。その後盛数の長男慶隆が城主となりました。本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信雄に通じていた疑いで転封され、稲葉貞通が城主となり、天守や二の丸などが建造されました。
 関が原の役後、西軍についた稲葉氏の守る八幡城を、徳川に味方した遠藤慶隆が、娘婿の飛騨高山城主・金森可重と攻めました。後に和議が結ばれ、貞通は豊後臼杵に転封され、慶隆が2万7千石で郡上八幡城主に返り咲きました。
 寛文7年(1667)3代藩主・遠藤常友の時、城郭と城下町を整備し幕府から城郭として格上げされました。5代藩主・常久は7歳で世を去り、笠間より移封した井上正任が5万石で入城し、2代続きました。
 元禄10年(1697)、羽前上山(山形県上山市)より金森頼時が3万8千石で入封し、次ぎの金森頼錦の時に5年に渡る大一揆が勃発し改易となりました。丹後宮津より青山幸道が4万8千石で入り、青山家が7代続き、青山幸宜の時、明治を迎えました。
 廃藩置県により廃城となり、廃城の翌年、石垣のみを残し取り壊されました。現在は石垣が岐阜県史跡に指定され、天守閣は歴史資料館になっています。この天守も郡上市有形文化財に指定されています。

 本丸御殿の跡地には山内一豊とその妻・千代の銅像があります。賢妻の鑑といわれる「千代」は初代郡上八幡城主・遠藤盛数の末娘という説が有力です。山内一豊は関が原の戦いで徳川家康に味方し、土佐を与えられ、高知城を築きました。
山内一豊と千代の銅像
 ここには一基の浅井戸があり、「首洗いの井戸」または「血の井戸」と言い継がれています。慶長の合戦に際して討ち取られた寄せ手の名のある武士の首が洗い清められ、首実検に供されたといわれるものです。
首洗いの井戸


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