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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅          揖斐郡揖斐川町

華厳寺
けごんじ
岐阜県揖斐郡(いびぐん)揖斐川町(いびがわちょう)谷汲徳積23
Tel 0585-55-2033


 谷汲山(たにぐみさん)華厳寺は天台宗のお寺で、この地方きっての古刹です。約3万平方mの広い境内には、杉・ヒノキ・桜の老樹大木が茂り、閑寂な雰囲気に包まれています。仁王門、庫裏、本堂、背後には阿弥陀堂、笈摺(きゅうしゅう)堂、子安堂、右手に鐘楼堂、石段を上った先に満願堂があり、その奥の離れたところに奥の院があります。
 本堂の右手には納経所、地下には戒壇巡りがあり、正面向拝の左右の柱には「精進落としの鯉」という銅製の鯉が打ち付けられています。西国札所巡礼を三十三番札所のこの華厳寺で満願した人は、その記念にこの鯉に触れるという習わしがあります。
 華厳寺は延暦17年(798)、奥州白河の豪族大口大領が豊然上人を開山とし創建したと伝えられています。その際、谷間から油が湧き出したので、これを本尊の常灯明に献じたそうです。
 延喜17年(917)、醍醐天皇がこの油の耳にされ、「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を賜わったそうです。天慶7年(944)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として華厳寺を勅願所に定められ、1万5千石と仏具の寄進をされました。
 寛和2年(968)、花山法皇が観音霊場巡幸の際に、西国第三十三番札所の満願所と定められ、以来多くの巡礼者でにぎわうようになりました。建武元年(1334)の南北朝の動乱の兵火や、その後の兵火により多くの堂宇が焼失し、衰退しました。
 文明11年(1479)、後土御門天皇の勅命により薩摩国(鹿児島県)慈眼寺の住職・道破拾穀(どうはじっこく)上人が再興しています。現在の堂宇は明治8年(1875)に豪泰法印(ごうたいほういん)が再建の願主となり、明治12年(1879)に再建された建物です。
 華厳寺の本堂は明治12年(1879)に再建された建物です。入母屋造り、正面5間、側面4間の外陣部の奥に、棟を直行させて内陣部が接続しています。本尊は十一面観音、脇侍として不動明王と毘沙門天を安置されています。この毘沙門天像は像高168.2cm、平安時代初期の作で国の重要文化財に指定されています。
華厳寺本堂
 華厳寺の仁王門は入母屋造 3間の二重門 奥の間左右に仁王像を安置しています。毎年2月18日、種まきや田植えの季節を前に豊作を願う春を告げる「豊年祈願祭」がこの仁王門の前で行われます。ここで岐阜県重要無形民俗文化財第1号に指定された「谷汲踊(たにぐみおどり)」が上演されます。
華厳寺仁王門
 華厳寺の満願堂は笈摺堂の西側の急な石段を上がったところにあります。本尊は十一面観世音菩薩です。笈摺堂が着衣(笈摺衣)を収め、過去の願いを収めるお堂にたいし、満願堂は現在の願いを収めるお堂です。
華厳寺満願堂


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