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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅          揖斐郡揖斐川町

横蔵寺
よこくらじ
岐阜県揖斐郡(いびぐん)揖斐川町(いびがわちょう)谷汲神原1160
Tel 0585-55-2811


 両界山横蔵寺は天台宗のお寺で、薬師如来を祀っています。約5千平方mの境内には仁王門、三重塔、本堂、観音堂、瑠璃殿、香堂、宝物館、そして妙心法師の舎利仏(ミイラ)が祀られている舎利堂などが建立しています。
 横蔵寺は延暦20年(801)、桓武天皇の勅願により伝教大師最澄が、この地の長者・三輪次太夫藤原助基を施主として創建したと伝えられています。最澄は比叡山延暦寺の本尊である薬師如来像と同じ霊木からもう1体薬師如来像を彫り込み横蔵寺の本尊としたと伝えられています。
 横蔵寺は繁栄し最盛期には38坊、300余の末寺をもつ大寺となりました。天暦元年(947)に村上天皇の勅願で始められた8月20日の会式(薬師祭)は格式をもって現在も執り行われています。
 元亀2年(1571)、織田信長の兵火により多くの堂宇が焼失し衰退しました。比叡山延暦寺も織田信長の焼き討ちにより焼失しました。天正13年(1585)、延暦寺が再興されると後陽成天皇の勅願により横蔵寺の本尊が延暦寺に移されたそうです。
 代わりに京都洛北より勅により横蔵寺に移されたのが現在の本尊であるといわれています。江戸時代の慶長15年(1610)、徳川家康は山麓と坂本村(横蔵村)一村を寄進しました。寺は円山の頂上付近から現在地に境内を移し、各堂宇が建立され、繁栄するようになりました。
 横蔵寺の本堂は寛文11年(1671)に再建された建物です。桁行5間、梁間5間、1重入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、勾欄付きの縁を巡らし、正面1間に向拝が付いています。平成元年(1989)に岐阜県の重要文化財に指定されています。
横蔵寺本堂
 本堂は密教系建築としての五間堂という本格的な規模で、中世以来の密教系本堂の伝統的な形態を保っています。様式的には和様を主体としていますが、部分的に唐様が取り入れられています。彫刻と彩色による装飾が比較的多く、建築的にも優れています。
横蔵寺本堂
 横蔵寺の三重塔は寛文3年(1663)に再建された建物です。3間三重塔婆、檜皮葺きで、各層に勾欄付きの縁がめぐらされています。初重と隅部の尾垂木には彫刻が施され、中備には蟇股があり、小天井と支輪を設けています。軒は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)となっています。
横蔵寺三重塔
 この三重塔は、和様の三手先(みてさき)で造られています。背後の花頭窓(かとうまど)などに唐様になっている所があります。尾垂木(おたるき)にも彫刻が施されています。平成元年(1989)に岐阜県の重要文化財に指定されています。
横蔵寺三重塔
 横蔵寺の仁王門は桁行6.34m、梁間3.5mの3間1戸の楼門で、入母屋造り、檜皮葺きです。延宝3年(1675)に再建された建物です。脇の間の奥の間を金剛柵で囲み、仁王象を安置し上層に鐘を吊っています。柱は円柱で、通路の上には虹梁が入り、その上には牡丹や菊の彫刻による派手な笈形(おいがた)を付けた大瓶束(たいへいつか)が立っています。
横蔵寺仁王門
 上層縁の腰組は三手先で中備は間斗束となっています。軒の組物は三手先で中備に蓑束(みのつか)を置き、小天井、支輪を設けています。軒は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)で、屋根の妻飾は虹梁大瓶束となっています。平成元年(1989)に岐阜県の重要文化財に指定されています。
横蔵寺仁王門
 横蔵寺の舎利堂には横蔵出身の妙心法師の舎利仏(ミイラ)が祀られています。妙心法師は俗名を古野小市良といいました。天明元年(1781)に生まれ諸国を巡って仏道修行をし文化14年(1817)、断食修行の後、山梨県都留市の御正体山で即身成仏したそうです。自然にミイラ化したもので明治23年(1890)に横蔵寺に移されました。
横蔵寺舎利堂


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