あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置
岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           美濃市

小倉山城
おぐらやまじょう
小倉山城
岐阜県美濃市泉町1571−1


 小倉山城は小倉山の南麓にあり、現在小倉公園の主要部を占めています。広さは東西約130m、南北約50mで、三段に分かれており、それぞれ高い石垣が築かれています。
 小倉山はもと尾崎丸山といわれていましたが、慶長5年(1600)の関が原の戦い後、城主になった金森長近が鉈尾(なたお)山にあった城をここに移し小倉山と改めたそうです。
 長近は豊臣秀吉の下で飛騨国を統一し、関が原の戦いでは東軍に付いて功を上げ上有知領2万石が加えられました。慶長10年(1605)、高山藩と高山城を養子の金森可重に譲り、自らは上有知に移って小倉山城を築き、上有知藩を立藩しました。
 慶長12年(1607)、長近が亡くなると実子の金森長光が上有知藩の藩主となりました。しかし跡継ぎが続かなかったため断絶となり小倉山城は廃城となり破却されました。領地は上知(あげち)され、後に尾張藩領となりました。天明2年(1782)、城跡に上有知代官所が置かれたそうです。


岐阜県トップページへ 旅と歴史トップページへ


直線上に配置

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送