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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           可児郡御嵩町

愚渓寺
ぐけいじ
岐阜県可児郡御嵩町(みたけちょう)中2635ー1
Tel 0574-67-0123


 大智山愚渓寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。愚渓寺の創建は古く、応永35年(1432)頃に、臨済宗妙心寺派の義天玄詔(ぎてんげんしょう)が鈴が洞に愚渓庵を開創したのが始まりと伝えられています。
 玄詔は室町時代中期の臨済宗の高僧で京都妙心寺、京都大徳寺の住持を歴任し、細川勝元の帰依をうけ京都竜安寺なども開いています。玄詔は臥竜と名付けた石庭を作庭し禅の世界を表現するとともに、修行の道場としての位置づけを与えました。
 愚渓寺は東美濃の名刹として寺運も隆盛しました。永正3年(1506)に美濃守護・土岐政房により現在の寺号である愚渓寺に変えています。天保年間(1830−1844)に現在地に移され、二重塔(多宝塔)などを含めた伽藍が整えられ、石庭も再現されています。
 寺宝が多く、愚渓寺二重塔(多宝塔)は御嵩町の指定文化財です。また、明叔慶浚頂相、足利義政御教書、覚書・1巻、寄進状・1巻、土岐政房禁制外・1巻も御嵩町指定文化財です。また、宝塚古墳は県の史跡に指定されています。



愚渓寺石庭
 愚渓寺石庭は京都の龍安寺を開いた妙心寺の高僧・義天玄詔が作庭した庭園を再作庭した枯山水庭園「臥竜石庭」です。龍安寺石庭の原型になっています。天保年間(1830−1844)に忠実に再現された石庭で、龍安寺石庭と姉妹庭と称されています。
愚渓寺石庭

愚渓寺二重塔(御嵩町指定文化財)
 愚渓寺二重塔は万延元年(1860)に美濃出身の野村杢頭作十郎国均が手掛けた多宝塔です。間口3間、奥行3間、2重2層の宝形造り、桟瓦葺きの建物で、御嵩町の有形文化財に指定されています。
愚渓寺二重塔


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