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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅       大垣市

大垣城
おおがきじょう
岐阜県大垣市郭町2−52
Tel 0584-74-7875


 大垣城は麋城(びじょう)、または巨鹿城(きょろくじょう)と呼ばれる連郭輪郭複合式の平城です。最初の城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に築かれたといわれています。
 永禄3年(1560)、氏家直元が城主となり、堀や土塁に手を加え、総囲いなどが整備されました。織田、斎藤と城主が移った後、天正11年(1583)に豊臣秀吉の家臣、池田恒興が城主となりました。天正16年(1588)に一柳直末によって天守が築かれたといわれています。慶長元年(1596)頃、伊藤祐盛が城主の時という説もあります。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には、当時城主であった伊藤盛宗は西軍であったので、西軍・石田三成の本拠地となりました。西軍本隊は関ヶ原に移動し、大垣城は福原長堯らが残りましたが、関ヶ原の本戦で西軍が敗北すると東軍に攻囲され落城しました。
 寛永12年(1635)、戸田氏鉄(うじかね)が城主となり、戸田氏が明治まで治めました。大垣城は昭和11年(1936)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)7月に戦災で焼失しました。昭和34年(1959)、4層4階の天守閣を再建しました。大垣城の中は貴重な資料館になっています。

 戸田氏鉄は戸田一西の子です。一西は家康に従って武功をあげ、関東入りに際して武蔵で5千石、関ヶ原後、近江膳所で3万石を与えられた武将です。氏鉄は元和2年(1616)膳所から尼崎に、寛永12年(1635)尼崎から大垣に移封。大坂城修築に功があり、島原の乱にも出陣しました。新田開発・治山・治水などの業績があります。
戸田氏鉄像
 氏鉄は、寛永13年(1636)に川口、外渕村境に門樋を造りました。水門川は、下流で揖斐川に合流するので、揖斐川が増水すると下流からの洪水が逆流して輪中内に浸水して被害が増えたのでした。川口水門樋は逆水を防ぐ働きをするものでした。
戸田氏鉄像


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