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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           関市

日龍峰寺
にちりゅうぶじ
岐阜県関市下之保4585
Tel 0575-49-2892


 大日山日龍峰寺は高野山真言宗のお寺で、岐阜県下最古の古刹です。美濃三十三観音霊場の第1番札所でもあります。海抜283mの高沢山山頂に建てられ、本堂前方が舞台造りで京都の清水寺に似ていることから、美濃清水とも呼ばれています。
 日龍峯寺の起源は、古墳時代の5世紀前半、仁徳天皇の時代に両面宿儺(りょうめんすくな)が天皇の命により日龍の精舎(しょうじゃ)を建てたのが始まりといわれています。
 その後、天平年間(729-749)に日龍峯寺として開山したのが、東大寺の創建でも活躍した行基です。自刻の千手観音を祀り、大伽藍を造営したと伝わります。
 鎌倉時代初期の承久年間(1219-1222)、各地で日照りが続いたため時の尼将軍・北条政子が雨乞いの祈願を日龍峰寺で行ったところ雨を呼び込んだため堂宇を再建したそうです。
 現在残る多宝塔がその時のものと伝えられています。応仁・文明の乱(1467-1487)の兵火で多宝塔を残して灰燼に帰しました。この多宝塔が北条政子によって建立された貴重な建物で、国の重要文化財に指定されています。

日龍峰寺多宝塔(国重文)
 日龍峰寺の多宝塔は鎌倉時代中頃に建てられたもので、間口3間(3.97m)、奥行3間(3.97m)、総高14.7mあります。二重宝形造り、檜皮葺きで、二重折上小組格天井です。上層部下部は亀腹白漆喰仕上げ、内部は極彩色仕上げとなっています。
日龍峰寺多宝塔
 源頼朝の正室である北条政子の夢枕に神龍が現れ、「日龍峰寺に池あり、法華経を書き写し供養してかの池に入れれば多雨たちまち降りなん」と告げ池に飛入するをみて目が覚めたそうです。お告げのように供養すると霊雨が降り念願成就したことから堂宇を再建、その時に再建された多宝塔がこの多宝塔です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
日龍峰寺多宝塔

日龍峰寺本堂(県重文)
 日龍峰寺の本堂は寛文10年(1670)に再建された建物です。間口6間(15.6m)、奥行5間(12.6m)、入母屋造り、檜皮葺きで、高沢山中腹の傾斜地に建てられた懸造り(舞台造り)です。
日龍峰寺本堂
 内部は正面2間分が外陣で柱のみの打ち放し、奥の3間分が内陣で両脇1間分が脇陣としています。堂内の正面には本尊で関市指定文化財の千手観音菩薩が安置されています。脇仏は毘沙門天(多聞天)と不動明王が配置され、これも室町時代に刻まれたもので関市指定文化財です。
日龍峰寺本堂

日龍峰寺籠堂(県重文)
 本堂の右隣にある日龍峰寺の籠堂(こもりどう)は文化3年(1806)に建てられたものです。間口9間、奥行4間の切妻造り、桟瓦葺きです。本堂と同じく高沢山中腹の傾斜地に建てられた懸造り(舞台造り)です。本堂に隣接し意匠的には簡素にまとめられています。
日龍峰寺籠堂
 籠堂は修行僧や参拝者が堂内に籠って修行を行う場で、岐阜県内ではここしかないそうです。岐阜県の重要文化財に指定されています。
日龍峰寺籠堂

宝篋印塔(県重文)
 みたらしの霊水のことろに宝篋印塔(ほうきょいんとう)があります。塔は鎌倉時代末期の元弘3年(1333)の銘があります。伝承によると源頼朝の分骨を埋葬したと伝えられています。岐阜県の重要文化財に指定されています。
宝篋印塔

千本桧(市指定天然記念物)
 日龍峰寺の本堂前の広場にそびえる千本桧(ひのき)は樹高20mの大木です。根本の回りは3mを超え、根本より無数に分かれた枝葉はまさに千本桧にふさわしう姿です。寺伝では両面宿儺(りょうめんすくな)が登山の折杖として使用した桧が千本の枝葉群立したといわれています。樹齢は300年といわれ関市の天然記念物に指定されています。
千本桧


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