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岐阜の旅と歴史
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新長谷寺
しんちょうこくじ
岐阜県関市長谷寺町1番地
Tel 0575-22-3464


 吉田山新長谷寺は真言宗智山派のお寺で、吉田観音とも呼ばれます。また多くの堂宇が文化財指定を受け、伽藍が整っていることから「美濃の法隆寺」とも呼ばれています。
 貞応元年(1222)、後堀河天皇の勅命により護認上人が開山しています。以来、国家鎮護の道場として寺運も大いに隆盛しました。正安2年(1300)と長禄元年(1457)に火災に遭いましたがその都度再建されています。
 仁王門を入ると正面に本堂、右手に三重塔が建ち、三重塔の左に薬師堂が建てられています。仁王門と本堂の間の左側には、手前から釈迦堂、阿弥陀堂、大師堂が建ち、本堂の右手後方に鎮守堂が建てられています。
 本堂、三重塔、大師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、薬師堂、鎮守堂、客殿など多くの堂宇が国の重要文化財に指定され、仁王門、鐘楼、経蔵、 金剛力士像などは関市指定文化財です。

新長谷寺本堂(国重文)
 新長谷寺本堂は室町時代中期の寛正元年(1460)に再建された堂宇です。間口5間、奥行5間、一重、入母屋造り、檜皮葺きで、一間の向拝が設けられています。明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。
新長谷寺本堂

新長谷寺三重塔(国重文)
 新長谷寺三重塔は寛正4年(1463)に再建された塔です。宝形造り、檜皮葺きの三間三重塔婆で、高さは20.1mあります。明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。
新長谷寺本堂

新長谷寺仁王門(関市指定文化財)
 新長谷寺の仁王門は二の門ともいわれ、宝暦3年に徳川家により再建された門です。中に鎮座する金剛力士(仁王)像は有名な運慶作だと言い伝えられています。昭和37年(1962)に参道の中央から現在の場所に移動しているそうです。平成元年(1989)に金剛力士像ともに関市の有形文化財に指定されています。
新長谷寺仁王門


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