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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           高山市

安国寺
あんこくじ
岐阜県高山市国府町西門前474
Tel 0577-72-2173


 太平山安国寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、飛騨三十三観音霊場11番札所です。経蔵は唐様素木造りの建物で、飛騨唯一の国宝です。この経蔵は平成28年(2016)に日本遺産「飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群」の一つに認定されました。
 安国寺の創建は、正平2年(1347)、足利尊氏・直義兄弟が瑞厳和尚を開山として、南北朝動乱での戦死者の慰霊のため、国ごとに一寺一塔を建立させたのが始まりと伝えられています。
 瑞巌和尚は元々あった少林寺を整備して安国寺を開山したといわれています。瑞巌和尚は観応元年(1350)に没し、その弟子本瑞が師の徳を慕い、明徳3年(1392)師の火葬された灰をねんどを混ぜて和尚の坐像を造立しました。この塑造瑞巌和尚坐像と木造須弥壇、像内納入経は国の重要文化財に指定されています。
 安国寺は最盛期には境内に七堂伽藍が造営され、9坊を擁する大寺として寺運が隆盛しました。文安2年(1445)には諸山となり、宝徳元年(1449)には十刹に数えられています。
 安国寺は戦国時代、高山に拠点を持つ上杉派の三木氏と、国分寺に拠点を持つ武田派の広瀬氏との抗争に巻き込まれ、天文年間(1532−1555)から永禄年間(1558-1570)に、兵火により経蔵、開山堂、および鎮守社の熊野神社以外の堂宇が焼失しました。
 一時衰微しましたが、寛永元年(1624)、飛騨高山藩第3代藩主・金森重頼が再建しています。安国寺経蔵は国宝に、安国寺の鎮守社である熊野神社と、塑造瑞巌和尚坐像は国の重要文化財に指定されています。本尊の釈迦牟尼仏脇侍文殊普賢両菩薩と、梵鐘は岐阜県の重要文化財に指定されています。

安国寺経蔵(国宝)
 安国寺経蔵は明治42年(1909)に国宝に指定されました。墨書によると、応永15年(1408)に願主超一によって建てられています。この墨書は大正11年(1922)の解体修理のときに発見されました。
安国寺経蔵
 安国寺の経蔵は萩原町奥田洞出身の奥田弾正頼親の寄進により建立されたものです。経蔵は入母屋造り、こけら葺きで、禅宗様の建物です。外観は3間4方のようですが内部の1間4方の身舎(もや)の外側に1間の束を廻し裳階を付けています。
安国寺経蔵
 経蔵の中には、中央に八角の輪蔵(回転式の経蔵)があります。八方に出ている木鼻を押すと、中心の軸で回転するようになっています。年代の明らかな輪蔵として日本最古のものです。
安国寺経蔵
 内部に納められている経本は中国の元の時代に、杭州の大晋寧寺で出版された一切経です。春日版大般若経とあわせ2208巻が岐阜県の文化財に指定されています。
安国寺経蔵

熊野神社本殿(国重文)
岐阜県高山市国府町西門前521
 熊野神社はもとは安国寺の鎮守社で、国宝の経蔵の上に建てられています。創建は室町初期と推定されています。近年の年輪年代測定調査では、横板壁板の部材が室町時代(西暦1400年)前後の伐採と推定されているそうです。
熊野神社本殿
 熊野神社本殿は間口1.827m、奥行1.073m、こけら板葺きの、一間社流見世棚造りです。正面向拝の柱上に向かい合わせで木鼻を飾るなど、細部にまで優れた技法が取り入れられています。こけら板葺きの屋根に古いものが残っているのも特徴で、市内に現存する本殿建築では最古のものです。、
熊野神社本殿
 熊野神社本殿は荒城神社本殿、阿多由太神社本殿に続くもので、飛騨地方の神社建築の流れを知るうえにも重要な社殿です。熊野神社本殿は昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。
熊野神社本殿

安国寺本堂
 安国寺本堂は江戸時代初期の寛永元年(1624)、飛騨高山藩第3代藩主の金森重頼により再建された建物です。間口7間、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入です。外壁は真壁造り、白漆喰仕上げで、花頭窓が付いています。
安国寺本堂


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