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岐阜の旅と歴史
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阿多由太神社
あたゆたじんじゃ
岐阜県高山市国府町木曽垣内1023
Tel 0577-72-3389


 阿多由太神社は日本三代実録に貞観9年(867)に従五位上に列した事が記載された古社で、延喜式神名帳に飛騨式内8社の一つと記載されています。古くから木曽垣内・三日町・半田の産土神として崇敬され「権現宮」といわれてきました。
 「斐太後風土記」によると文化年間(1804-1817)に吉田家臣・玉田常陸永辰が飛騨式内八社を調べに来て、当社を荒城神社として札を懸けたそうです。同じく荒城神社と認定された河伯大明神(現・荒城神社)の氏子が怒って札を外したそうです。
 くじをしてみたら阿多由太に当たったので阿多由太神社としたと記されているそうです。阿多由太神社は古くから神仏習合していました。明治の神仏分離令で仏教色は排され、昭和3年(1928)に郷社に列し、同年、神饌幣帛料供進社に指定されました。
 阿多由太神社本殿は国の重要文化財に指定され、本殿の両側の棚に安置されていた随身像は岐阜県の重要文化財に指定されています。阿多由太神社稲荷社殿と本地佛は高山市の有形文化財に指定されています。

阿多由太神社本殿(国重文)
 阿多由太神社の本殿は室町時代後期に建てられたと推察されています。三間社流見世棚造り、こけら葺きです。階段を持たず小形社殿が多い見世棚造り組物や彫刻、工法など当時の神社本殿としては規模も比較的に大きなものです。横幅2.76mで、正面3間のそれぞれに扉が付いています。
阿多由太神社本殿
 今も残る建築当時の部材には、木目の緻密なサワラなどの良材が多用されています。当時の飛騨の森林資源の豊かさが想像できます。各部の意匠は室町時代の特徴をよく表しています。昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。
阿多由太神社本殿

木造随神像(県重文)
 阿多由太神社の本殿の中央には主神の大歳御祖神が祀られています。その左右に一対の木造随神像があります。右側は熊野大神、左側は阿須波乃大神で、平安時代に刻まれています。一対とも岐阜県の重要文化財に指定されています。
木造随神像

阿多由太神社稲荷社(市文化財)
 阿多由太神社の稲荷社殿は嘉永年代(1848-1854)頃に造られたと思われます。八棟造りで間口1.5m・、奥行2mの社殿です。手法、技法とも優れたもので、大工棟梁は、糠塚の名工、中垣内八右衛門といわれています。高山市指定文化財です。
稲荷社


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