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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           不破郡垂井町

南宮大社
なんぐうたいしゃ
岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
Tel 0584-22-1225



 南宮大社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に美濃国不破郡の仲山金山彦神社として記載され、名神大社に列し、美濃国一之宮として崇敬されてきました。社伝によると崇神天皇の御代に創建され、美濃国国府の南方にあたるため南宮大社と呼ばれるようになったようです。
 祭神の金山彦命は金属を司る神であったことから現在でも全国の鉱工業関係者から篤く崇高されています。天慶2年(939)の天慶の乱の際には平将門の追討を祈願、康平2年(1059)の前九年の役の際には安部貞任の追討の祈祷、祈願が行われ、念願成就した事で、康平5年(1062)には正一位勲一等を賜わっています。
 美濃国一宮として歴代領主からも庇護され、文亀元年(1501)の火災による焼失では美濃守護職土岐政房により再建され、豊臣秀吉からは天正17年(1589)、供田160石、社堪忍分200石が寄進されています。しかし慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは西軍の安国寺恵瓊の陣地となったため灰燼に帰しました。
 寛永19年(1642)、徳川家光は美濃代官岡田将監を奉行に命じて再建させました。造営費の総額は銀で442貫だったそうです。これが記載された古文書623冊が完全な形で残されていて国の重要文化財の付指定にされています。
 この時に再建された社殿が現在まで残されています。江戸時代の神社建築の代表的な遺構として、本殿、拝殿、楼門など18棟が昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されました。祭神が金属の神であることから刀剣、鉄器類の社宝も多く所蔵しています。
 南宮大社(仲山金山彦神社)は古くから神仏習合し、神宮寺・朝倉山真禅院が別当寺院でした。明治時代初頭の神仏分離令により分離され、南宮神社と改められました。戦後になり南宮大社と改められ、国幣中社、後に国幣大社となりました。


南宮大社楼門(国重文)
 南宮大社の楼門は寛永19年(1642)に再建された建物です。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの三間一戸の八脚楼門で、昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社楼門

南宮大社高舞殿(国重文)
 南宮大社の高舞殿(こうぶでん)は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口3間、奥行3間の宝形造り、単層、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社高舞殿

南宮大社拝殿(国重文)
 南宮大社の拝殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、正面に軒唐破風が付けられています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社拝殿

南宮大社本殿(国重文)
 南宮大社の本殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口3間、奥行4間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、正面に1間の向拝が付けられています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社本殿

南宮大社幣殿(国重文)
 南宮大社の幣殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口1間、奥行1間、単層、唐破風造り、檜皮(ひわだ)葺き、妻入の建物で、本殿と拝殿の間にあります。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社幣殿

南宮大社・南大神神社本殿(国重文)
 南宮大社の摂社である南大神神社(なんだいじんじんじゃ)の本殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。檜皮(ひわだ)葺きの一間社、流造りで木部は朱塗りされています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南大神神社本殿

南宮大社・高山神社本殿(国重文)
 南宮大社の摂社である高山神社(たかやまじんじゃ)の本殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口3間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、正面に1間の向拝が付けられています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
高山神社本殿

南宮大社・七王子神社本殿(国重文)
 南宮大社の摂社である七王子神社の本殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。銅板葺きの七間社、流見世棚造りです。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
七王子神社本殿

南宮大社・樹下神社本殿(国重文)
 南宮大社の摂社である樹下神社(じゅげじんじゃ)の本殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口3間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、正面に2間の向拝が付けられています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
樹下神社本殿

南宮大社・隼人神社本殿(国重文)
 南宮大社摂社隼人(はやと)神社本殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。檜皮(ひわだ)葺きの一間社、流造りで木部は朱塗りされています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
隼人神社本殿

南宮大社勅使殿(国重文)
 南宮大社勅使殿は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口7間、奥行5間、単層、入母屋造り、銅板葺きの建物です。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社勅使殿

南宮大社回廊(国重文)
 南宮大社回廊は右回廊、左回廊ともに寛永19年(1642)に再建された建物です。間口11間、奥行1間、単層、唐破風造り、銅板葺きの建物です。右回廊、左回廊ともに昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社回廊

南宮大社神輿舎(国重文)
 南宮大社の神輿舎は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口正面7間、背面9間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社神輿舎

南宮大社神官廊(国重文)
 南宮大社の神官廊は寛永19年(1642)に再建された建物です。間口9間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社神官廊

南宮大社輪橋(国重文)
 南宮大社の輪橋は石造りの反橋で、橋脚2基、擬宝珠高欄が付いています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社輪橋

南宮大社下向橋(国重文)
 南宮大社下向橋は寛永19年(1642)に再建された建物です。石造りの桁橋で、橋脚2基、高欄が付いています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
南宮大社下向橋


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