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岐阜の旅と歴史
岐阜の旅           多治見市

永保寺
えいほうじ
岐阜県多治見市虎渓山町1ー40
Tel 0572-22-0351


 虎渓山(こけいざん)永保寺(えいほうじ)は、多治見市にある臨済宗南禅寺派の名刹で、濃尾平野東北の丘陵地を流れる土岐川に面しています。雲水の修行道場である虎渓山専門道場も開いています。
 庭園は国の名勝に指定され、観音堂と開山堂は国宝に指定されています。また永保寺の紅葉は、飛騨美濃紅葉33選に選ばれています。本堂の前には市の天然記念物の樹齢700年の大銀杏と志野・織部釉を施した陶製の灯籠があります。
 永保寺は正和2年(1313)、土岐頼氏の招きを受けた夢窓国師(夢窓疎石)が、長瀬山のこの地に禅寺を開創したのが始まりです。夢窓国師がこの地を訪れた時、中国の廬山の虎渓の渓谷に似ていたことから虎渓山の山号がつけたといわれています。
 夢窓国師は文保1年(1317)、元翁本元(仏徳禅師)に寺を託して上京し、建武2年(1335)、京都に臨川寺を開山しました。そのため、永保寺開山は元翁本元に改められました。南禅寺正的庵末寺の五山派寺院となり、後醍醐天皇、後光明天皇の勅願所となり、室町時代には30もの僧坊をもつ大寺になりました。

永保寺観音堂(国宝)
 永保寺の観音堂は水月場とも観音閣とも呼ばれます、間口3間、奥行3間の方三間、一重裳階(もこし)付き、入母屋造り、檜皮葺きの仏殿です。正和3年(1314)、夢窓国師が虎渓に来た翌年に建立されたと伝えられ、南北朝時代前後の正慶2年から明徳3年(1333-1392)頃の建物です。
永保寺観音堂
 須弥壇の上の岩窟式厨子(がんくつしきずし)には県の重要文化財に指定されている聖観世音(しょうかんぜおん)菩薩の坐像が本尊として祀られています。別名「孕(はら)み観音」と呼ばれ、子宝・安産のご利益があることで知られています。
永保寺観音堂
 観音堂は本格的な禅宗様仏殿と少し異なっています。軒反りが強い屋根の形状、桟唐戸、柱間上方の弓欄間など禅宗様の要素が強い一方で、和様の要素も多く含んでいます。低い床を設け、床は板床、天井は板張りの鏡天井です。軒をあっさりした板軒とし、組物は柱上だけに出組をあげて詰組としていません。
永保寺観音堂
 身舎が「出組」、裳階が「出三斗」という、外側への出の少ない簡素なものを用いています。組物は柱の上のみに配置され、柱と柱の間は簡略化しています。裳階は正面側一間通りを吹き放しにしています。この観音堂は夢窓国師が手がけた建造物のうち現存する唯一のもので、昭和27年(1952)に国宝に指定されています。
永保寺観音堂

永保寺開山堂(国宝)
 永保寺の開山堂は僊壺堂(せんこどう)とも呼ばれ、文和元年(1352)に足利尊氏によって建立されたと伝えられ、南北朝時代前後の正慶2年から明徳3年(1333-1392)頃に建てられたと思われます。祠堂(しどう)には開祖である夢窓国師と開山した元翁本元(仏徳禅師)の坐像が安置されています。
永保寺開山堂
 開山堂は庭園内の臥龍池を回った一番奥の僊壺洞(せんこぼら)に建てられています。永保寺は正和2年(1313):に夢窓国師により開創され、文保1年(1317):、国師は同門の元翁本元に後を任せ上京し臨川寺を開山しました。その後、永保寺開山を元翁本元(1281-1332)に改めています。
永保寺開山堂
 方一間、裳階付きの一重、入母屋造、檜皮葺きの祠堂(内陣)があり、その前に礼堂にあたる外陣の昭堂があります。昭堂は方三間一重、入母屋造り、檜皮葺きで、相の間で祠堂とつないで1棟とする特異な形式です。祠堂には開山の墓塔や頂相を安置しています。開山堂は昭和27年(1952)に国宝に指定されています。
永保寺開山堂
 祠堂は高い壇上に建ち、組物を三斗、裳階を板軒にして鏡天井という簡素な禅宗様式を示しています。昭堂は詰組三手先組物を組み、軒を二軒の扇垂木とし、扉や窓には花狭間を用いています。内部は相の間境に虹梁状の頭貫を用いて柱を省き、梁行一杯に虹梁をかける禅宗様意匠です。
永保寺開山堂

永保寺庭園(国名勝)
 永保寺庭園は永保寺開創の夢窓国師によって作庭されました。国師は京都の西芳寺(苔寺)や、天竜寺、鎌倉の瑞泉寺、甲州市の恵林寺などの作庭でも有名です。4万3300平方mが国の名勝に指定され、8千平方mは多治見市の名勝に指定されています。
永保寺庭園
 観音堂傍らの梵音巌(ぼんのんがん)、これにかかる水瀑は梵音の滝と名づけられています。池は臥龍池(がりゅういけ)と呼ばれ、心字池ともいわれています。離れ小島の中には弁天堂が建てられています。地泉回遊式の庭園で石組など見事な景観です。
永保寺庭園

永保寺無際橋
 臥龍池には無際橋(むさいきょう)が架けられています。観音堂の向かいにある木製の橋で屋形のある橋です。中央の屋根のある部分は亭しゃと呼ぶそうです。国師の作庭にこの種のものがあったとされ、昔からの形を伝えるものと考えられています。
永保寺無際橋

永保寺僧堂
 永保寺の僧堂は坐禅堂でもあり海珠堂(かいしゅどう)とも呼ばれています。雲水修行の場であり、大小の禅堂と侍者寮があります。臨済宗では食堂、浴堂とともに三黙堂とされ無駄な物言いは許されない場所です。堂内正面には文殊菩薩が祀られています。
永保寺僧堂

永保寺本堂
 永保寺の本堂は方丈である華藏庵です。平成15年(2003)9月10日、庫裡、大玄関とともに火災で焼失しました。再建を願う市民を中心に募金活動が行われ、平成23年(2011)6月に再建されました。右隣に大玄関、庫裡、大書院が建てられています。
永保寺本堂

永保寺庫裡
 永保寺の大銀杏の前に庫裡が建てられています。平成15年(2003)9月10日、火災で焼失しました。平成19年(2007)8月29日、約520平方mの新しい庫裡が再建され完成式が行われました。大きな切妻屋根と典座釜戸の煙り出し屋根が優雅です。図面が無かったため設計は写真と国宝瑞巌寺庫裡を参考にしたそうです。
永保寺庫裡

永保寺六角堂
 永保寺の六角堂は霊擁殿とも呼ばれ、梵音巌(ぼんのんがん)と呼ばれる岩の上に建てられています。六角の堂宇で、屋根は茅葺きです。堂内には千体地蔵が祀られています。願をかける人は地蔵を借り、願いがかなうと新しい地蔵を添えて返されているそうです。
永保寺六角堂

永保寺大銀杏(多治見市天然記念物)
 永保寺の大銀杏は樹高25.5m、目通り4.4m、枝張り21.2mで、昭和41年(1966)に多治見市の天然記念物に指定されています。永保寺を開山した元翁本元(仏徳禅師)お手植えの木として大切にされてきました。言い伝えによると樹齢700年になるそうです。
永保寺大銀杏

続芳院
 永保寺には続芳院という塔頭があります。永保寺と同じ臨済宗南禅寺派のお寺で聖観世音菩薩を本尊としています。玉霄正深禅師により創建されています。虎渓西国33観音の第32番の千手観音石像が祀られています。
永保寺続芳院


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