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石川の旅と歴史
石川の旅        金沢市

兼六園
けんろくえん
石川県金沢市兼六町1ー25
Tel 076-221-6453


 特別名勝の兼六園は金沢城の外郭として城に属した庭だったそうです。水戸の偕楽園や岡山の後楽園とともに、日本三名園の一つに数えられています。

 延宝4年(1676)5代藩主・綱紀(つなのり)が城内に蓮池御亭(れんちおちん)を建て、その周りを蓮池庭(れんちてい)という庭園にしたのが作庭の始めだといわれています。
 文政5年(1822)12代藩主斉広が自分の隠居所「竹沢御殿」を建て、回遊式の広大な庭園造りを始めました。庭には辰巳用水を取り入れた曲水を作り、各種の石橋を架けたのでした。

 奥州白河藩主の松平定信こと白河楽翁(らくおう)にこの庭園の命名を依頼しました。楽翁は中国宋時代の詩人・李格非(りかくひ)の書いた洛陽名園記の中の「園甫の勝、よく兼ね能はざるもの六あり。宏大に務むれば幽邃少なし、人力すぐれば蒼古乏し、水泉多ければ眺望難し」から兼六園と名付けたのです。
 宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)の六勝を兼備するという意味でその素晴らしさがにじみ出ています。
 霞ケ池の北岸に徽軫灯篭(ことじとうろう)があります。琴の弦を支えている柱(琴柱)に似ていることから付けられたそうです。まさに兼六園のシンボルです。
 北前船を30隻近くも持っていたという豪商の木谷藤右衛門(きやとうえもん)が十二代藩主斉広(なりひろ)に献上したものといわれています。この灯籠のすぐ近くの曲水の流入部に虹橋が架かっています。
 徽軫灯篭は水面を照らすための雪見灯籠の変形だそうです。高さ2.6mあります。脚のアンバランスがかえって趣を与えてくれます。


唐崎松
からさきのまつ
 13代藩主斉泰(なりやす)が琵琶湖畔の唐崎から種を取り寄せ実生から育てたといわれる黒松です。枝が霞ケ池の中に浮かんでいるように見えます。
 11月1日から雪づりをはじめます。北陸に冬の訪れを告げる風物詩となっています。


霞が池
かすみがいけ
 霞が池は兼六園の中心部にあります。永遠の繁栄を願って作られた兼六園一大きな池です。広さ5800平方mあります。
 池を中心にして栄螺(さざえ)山、内橋亭、徽軫灯篭、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの各名勝を配置し、廻遊しながら庭景を楽しめるよう園路が巡らされています。


内橋亭
うちはしてい
 茶室の内橋亭です。栄螺山(さざえやま)を背景に霞ヶ池のほとりに浮んでいるようです。昭和40年(1965)に再建されています。


眺望台
 幾重にも重なり合った山々のはるか彼方に、白山の山並みの稜線が美しく見えます。卯辰山、戸室山、医王山の山々を望むことができます。
 市街地の向こうには加賀平野が広がっています。日本海、 能登半島などを望むことができます。


雁行橋
がんこうばし
 11枚の石を使って雁が列をなして飛んでいる姿を表わしていることから雁行橋といわれています。
 別名亀甲橋ともいわれます。石の1枚1枚が亀の甲の形をしているからです。この橋をわたると長寿を保つといわれています。


七福神山
 12代藩主・斉広が、竹沢御殿から眺める庭園として作庭したそうです。7つの自然石を、七福神になぞらえ、恵比寿、大黒天、寿老人、福禄寿、布袋、毘沙門天、弁財天にみたてています。
 福寿山ともいわれるこの七福神山は、曲水、築山、雪見灯籠など、当時の雰囲気をそのままに伝えています。


日本武尊像
やまとたけるのみことぞう
 日本武尊は古代の英雄で伝説の皇子です。銅像の身長は5.5mで、 日本で最初に建てられた銅像と言われています。台石の高さは6.5mです。セメントなどを使わず石の重さだけで組み合わされています。


根上がりの松
ねあがりのまつ
 15mほどの黒松です。13代藩主斉泰(なりやす)が稚松(わかまつ)を盛土の上に植え、徐々に土を除いていったそうです。多くの根が露出して地面から盛り上がっています。松の生命力と値上がりに通じて縁起がよいので珍重がられたそうです。


辰巳用水
たつみようすい
 寛永9年(1632)犀川から取水し、ここから城内へ木管により通水されました。天保15年(1844)石管に取り替えられたそうです。辰巳用水は金沢城のための用水でした。


松の傷
 兼六園の松の傷は戦時中の昭和20年(1945)閣議決定された松根油等拡充増産計画の名残です。全国の松から年間40万キロリットルの松根油を生産し航空機を飛ばすというものでしたが成果は上がらなかったようです。


舟之御亭
ふなのおちん
 5代藩主・綱紀により蓮池庭作庭の際に造られた4亭の一つです。平成12年(2000)に時雨亭と共に復元されました。
 船の形をしています。藩政時代の絵図にも描かれているそうです。現在は、梅林のそばに建てられています。


夕顔亭
 この夕顔亭は園内で最も古い建物で、安永3年(1774)に建てられた茶室だそうです。茶席の次の間の袖壁に夕顔(瓢箪)の透し彫りがあるので夕顔亭という亭名がつけられたそうです。


瓢池
ひさごいけ
 瓢池は池の中ほどがくびれて瓢(ひょうたん)の形をしているのでその名がつけられています。百間堀からこの辺一帯は藩政時代以前から池や沼があったらしく蓮池の名前が残っています。
 兼六園と名づけられるまでは蓮池庭と呼ばれていたそうです。園内で最も古く、兼六園の作庭はこの一帯から始まったものだといわれています。


翠滝
みどりたき
 翠滝は高さ6.6mの雄大な人工の滝です。安永3年(1774)11代藩主前田治治脩(はるなが)が蓮池庭を改修し現在の翠滝と夕顔亭を作ったそうです。まわりの樹木は紅葉の名勝である滝田、高尾、小倉山などから移植したそうです。


海石塔
 瓢池の島にある高さ4.1mの塔は六重の塔で、虫が喰ったように穴のあいた淡茶色の笠石が積み重ねられています。この笠石が海石に似ていることから海石塔と呼ばれています。
 加藤清正が朝鮮の役の際、戦利品として持ち帰ったものを秀吉に贈り、それが利家に贈られたといわれています。


噴水
 文久元年(1861)に作られた日本最古の噴水です。3.5mの高度差を利用しています。

 明治4年(1871)に、名を「與楽園・よらくえん」と変えられ、その後「兼六公園」(明治7年)、「金沢公園」(大正11年)となり、旧称の「兼六園」に戻されたのは大正13年(1924)でした。
 現在は「文化財指定庭園 特別名勝」の指定を受けています。


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