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石川の旅と歴史
石川の旅        小松市

安宅の関跡
あたかのせきあと
石川県小松市安宅町ヨ132
Tel 0761-22-8896


 安宅町は古くから日本海の要港として栄えました。藩政時代は藩の米倉がおかれ「酒屋千軒寺千軒」といわれるほど賑わったそうです。
 安宅の関跡は日本海に面した小高い砂丘上にあり、松林に囲まれています。ここは歌舞伎十八番勧進帳の舞台となった関なのです。
 文治3年(1187)源頼朝に追われた義経一行がこの安宅の関にさしかかりました。安宅の関守は富樫左衛門秦親でした。山伏に姿を変えた一行に疑惑の目で厳しく尋問したのでした。
 弁慶はその疑いを晴らすため、機転を利かせ懐の中の白紙の巻物を取り出して、勧進帳を空読みし「不動の見得」を切ったのです。それでも疑心の目で見られているので錫杖で義経を殴って難を逃れたというものです。
 この時の義経の勇気、弁慶の智略、富樫の仁義をたたえ、勇仁智と掲げられた「弁慶・富樫問答の像」が建てられています。昭和41年(1966)に日展作家都賀田勇馬によって制作されました。歌舞伎の7代目松本幸四郎と2代目市川左団次をモデルにしたそうです。
 平成7年(1995)には義経の像も完成しました。この像は都賀田勇馬の息子さんの都賀田但馬の制作だそうです。
 安宅関所館もあります。義経一行の名場面が等身大の人形で再現されています。梯川(かけはしがわ)河口の一帯は安宅海浜公園と整備され安宅関所資料館などもあります。
 関の一角に与謝野晶子が安宅に訪れた際に詠んだ歌碑があります。

 松たてる 安宅の砂丘 その中に
   清きは文治 三年の関


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