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信州長野の旅と歴史
信州の旅        飯田市

文永寺
ぶんえいじ
長野県飯田市下久堅南原1142
Tel 0265-29-8146


 南原山文永寺は旧南原村の高台にある真言宗智山派のお寺です。文永元年(1264)、亀山天皇の勅願によって、神ノ峰城主の知久尼衛門五郎入道信貞が開基したのが始まりといわれています。
 信貞は京都醍醐寺理性院の隆毫阿闍梨上人を招いて開山させ、以来歴代天皇の勅願寺として栄えました。しかし天文23年(1554)、武田氏の兵火で神ノ峰城とともに主な堂宇は灰塵に帰しました。石室と五輪塔は難を逃れ、本堂などは江戸時代に再建されました。

 知久入道信貞の子である知久敦幸によって石室と五輪塔が造られました。文永寺の中ではなく、境内より手前の民家の道端に置かれています。花崗岩切石で組まれた石室の内部に同じ花崗岩の五輪塔が安置されていて、ともに国の重要文化財に指定されています。
石室と五輪塔
 石室は方1.58m、高さ1.88mの大きさで、この中に五輪塔が安置されています。石室の天井には、「弘安六年葵末十二月二十九日 神敦幸造 南都石工菅原行長 左衛門尉神敦幸生年六十二歳」と刻まれています。五輪塔は弘安6年(1283)知久敦幸が62歳の時に造立し、知久氏が神氏であったこと、奈良の石工菅原行長が造ったことがわかります。五輪塔は下方より地輪、水輪、火輪、風輪、空輪よりなり、総高1.16mで、各輪の四方に梵字が刻まれています。
石室と五輪塔
 長野県宝の文永寺の梵鐘は、総高1.415m、口径0.78mです。龍頭は中央に宝珠をもつ両頭式で笠形は大きくふくらみ、茸形の乳は乳の間4区に4段4列に64個配しています。弘安2年(1279)鋳造で重要文化財の小海町の松原諏訪神社の梵鐘と酷似しており、文永寺創建時のものと推測されています。
文永寺梵鐘
 文永寺の勅使門は開けずの門といわれ、形態、彫刻など県下唯一の貴重な唐門です。棟札には桃山時代に屋根を修理したと記されており、足利時代に造られたと推察されています。
文永寺勅使門
 文永寺の勅使の松は日本3大銘松の一つといわれています。樹齢約550年、幹高12m、下枝長14mです。朝臣広橋右大弁綱光卿が花園天皇の勅使として来参の際のお手植えの松ということです。
文永寺勅使の松
 阿弥陀堂には本尊の阿弥陀如来像が安置されています。足利時代の有名な仏師・春日の作と伝えられています。総高2.45mの寄木造りの木像仏です。天井には梵字板が無数に貼られています。
文永寺阿弥陀堂


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