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信州長野の旅と歴史
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旧小笠原家書院
きゅうおがさわらけしょいん
長野県飯田市伊豆木3942
Tel 0265-27-4178 小笠原資料館


 旧小笠原家書院は伊豆木にあり、陣屋跡の石垣の上に建っています。裏山一帯は「お城山」と呼ばれ、土塁や空掘跡など、中世以来の土豪の居館構えの遺構が残されているところです。
 小笠原氏は室町時代に信濃の守護でした。松尾城主・小笠原信嶺(のぶみね)は武田氏の家臣でしたが、関ヶ原の合戦で徳川に味方して所領を安堵され、今の埼玉県にある本庄藩の藩祖にもなりました。松尾小笠原氏と呼ばれ、その後、越前勝山城主となり明治を迎えました。
 慶長5年(1600)、本庄にいた信嶺の弟・小笠原長臣は旧領の伊豆木へ千石で移封し、翌年に陣屋を築きました。伊豆木小笠原氏と呼ばれ、交代寄合として明治まで続きました。交代寄合とは旗本でありながら大名と同じように参勤交代をした高い地位を持つものでした。
 小笠原家書院は家系図では元和3年(1617)に建立とありますが、墨書銘から寛永期(1624-1644)に建てられたようです。江戸初期に遡る地方豪族の書院遺構は全国でも他に例がなく極めて貴重な建築物として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されました。
 本屋は桁行14.37m、梁間11.47m、1重入母屋造りです。東側に桁行3.43m、梁間3.73mの唐破風造りの玄関が取り付けられています。いずれも総こけら葺きで、本屋の南側約3分の1が崖上に突き出た舞台造りとなっています。
 玄関はもとは広間に設けられていましたが、明治初年、書院を除く広間、馬屋、居間、番所などが取り壊された時に、この位置に移築されたものです。玄関の中央蟇股に小笠原家の家紋の三階菱がついています。
 書院は平面田の字形の4室で3方に1間通りの入側をめぐらし、奥の火灯窓のある書院の間と次の間とは格天井で、その境に豪放な大菱欄間をつけ、次の間北側の3間の大床とともに豪華な桃山時代の建築を示しています。
 旧小笠原家書院に隣接している小笠原資料館は平成11年(1999)にオープンしました。小笠原家にまつわる資料を数多く展示しています。緩くカーブした細長い超近代的な建物です。設計は日本を代表する建築家ユニットSANAAでメンバーの妹島和世さんは小笠原家の後裔になるそうです。
小笠原資料館


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