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信州長野の旅と歴史
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飯山城跡
いいやまじょうせき
長野県飯山市大字飯山2749
 Tel 0269-62-3133 飯山市観光協会


 飯山城は北信濃から越後に至る常盤牧一帯を領した豪族・泉氏の居城でした。戦国期には泉氏は鴨ヶ嶽城主の高梨氏の配下となりました。武田氏に攻められ城を追われた高梨氏は飯山城に退き、上杉謙信の庇護の下で、武田氏と対峙しました。
 永禄7年(1564)の第5次川中島合戦の際、越後の防御・信濃計略の前線基地として飯山城は上杉謙信によって本格的に築城されました。 天正6年(1578)謙信が死去すると御館の乱があり、景勝が跡目を継ぎ、飯山城は武田との和睦により武田氏に割譲されました。
 武田氏が滅亡すると織田信長の勢力下に入り家臣森長可が支配しました。本能寺の変が起こると長可は飯山城から撤退し再び上杉領となります。上杉景勝の家臣岩井信能が城代となり城の修築を行い、現在の飯山城の規模に拡張しました。
 慶長3年(1598)、上杉景勝が会津へ移封となった後、飯山城は石川光吉、森忠政らが支配し、その後、関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山氏らが城主になり、享保2年(1717)以後は本多氏が幕末まで治めました。
 慶応4年(1868)、旧幕府派が飯山城下に侵攻し真宗寺を本陣としました。飯山藩は対応に苦慮するうちに、新政府軍の松代藩兵が千曲川東岸に布陣し旧幕府軍を鎮圧しました。この際の兵火で飯山城下は燃え、城下の半分を失いました。

 飯山城には以前、15近くの門があったそうです。明治の解体の際に各地に売りさばき、一つも残っていませんでした。飯山地区の丸山家にあった門を譲り受け、依然あった「おたや大門」の近くに、現在の門を移築しています。
飯山城城門
 飯山城本丸には葵神社が建立されています。この神社は明治16年(1883)、最後の城主本多家の中興の祖本多広孝を祀ったものです。寛政9年に勧請し明治4年の廃藩置県まで74年間存在した「飯山城本丸四社(祭神は、加茂二柱神・春日四神・八幡神)」の跡地を継いだものと思われます。
葵神社
 飯山市は長野県スキー発祥の地として知られています。始めてこの地にスキーを伝えたのは飯山市愛宕町妙専寺の市川住職でした。明治45年(1912)の冬、高田連隊へオーストリアのレルヒ少佐が来て、一本杖スキー術の講習が行われ、この講習に長野県からたったひとり、体操教師だった市川住職が参加してスキー術を会得してきたそうです。
長野県スキー発祥の地


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