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信州長野の旅と歴史
信州の旅        飯山市

正受庵
しょうじゅあん
長野県飯山市飯山上倉1871
Tel 0269-62-3133 飯山市観光協会


 正受庵は臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴(はくいんえかく)の師であった道鏡慧端(どうきょう えたん)が座禅三昧の後半生を送った禅庵で、寛文6年(1666)に創建されています。昭和35年(1960)に長野県史跡に指定されています。
 慧端は、松代城主真田信之の庶子と伝えられ、寛永19年(1642)、飯山城で生まれました。万治3年(1660)、飯山藩主松平忠倶の参勤交代に伴って江戸に向かい、江戸麻布にあった東北庵の至道無難のもとで出家しました。
 松平忠倶からの寺領200石と堂宇建立寄進など固辞し、水戸光圀からの招請も2度も辞退したそうです。享保6年(1721)80歳で死去するまでこの地に留まりました。
 白隠慧鶴が、越後高田の英厳寺で悟りを開いたと豪語し、天狗になっていました。心配した慧端の弟子宗覚は慧鶴に正受庵を訪ねるように勧めました。慢さを見抜いて登ってきた白隠を慧端は山門から蹴落としたそうです。
 その後、白隠は慧端の教えのもとで、修行を積み、「駿河の国に過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」といわれる高僧になりました。
 正受庵は基本的に寺領を持たず檀家もいなかったため修業道場として利用されていました。文政3年(1820)に5世の東瞑が藩命により退去され無住寺となりました。弘化4年(1847)の善光寺大地震により大きな被害を受けました。
 明治6年(1873)に無住で檀家がいなかった事から正受庵は廃庵となり荒廃が進みました。明治17年(1884)、山岡鉄舟・高橋泥舟らが尽力を尽くし再興させ、寺宝を集めなおしました。 江戸の至道庵、犬山の輝東庵と共に天下の3庵として古来より知られ、「全国古寺名刹百選」に選ばれています。


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