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信州長野の旅と歴史
信州の旅        伊那市高遠町

建福寺
けんぷくじ
長野県伊那市高遠町西高遠1824
Tel 0265-94-2336


 大宝山(だいほうざん)建福寺は安元2年(1176)文覚上人が本堂裏手にある「独鈷の池」付近に開創したのが始まりと伝えられています。その後、鎌倉の建長寺を開山した大覚禅師が入って鉾持山(ほこじさん)乾福興国禅寺(けんぷくこうこくぜんじ)を建立しました。
 天正7年(1579)、駿河国の清見寺の住持だった東谷(とうこく)禅師を招いて中興開山し妙心寺派となりました。保科氏の時代に大宝山建福寺と改号しています。
 歴代高遠城主からの信仰が厚く、武田氏、織田氏、保科氏から庇護され、与えられた古文書を多く所蔵しています。特に保科氏からは文禄年間(1592-1596)に黒印3通を受け、保科氏の菩提寺となりました。
 石仏の寺としても有名で、境内には守屋貞治(もりやさだじ)、渋谷藤兵衛を中心とした高遠石工の作品が多数あります。小藩の高遠藩は財政的に苦しかったため、農民に対して、石工の旅稼ぎをすすめていました。そのため、全国各地へ広がり、高遠石工の名声を高めたそうです。
建福寺の石仏
 境内には甲斐国武田氏の家臣で保科正光の父親の保科正直の墓(中央)、初代藩主保科正光の墓(左側)、武田信玄の側室で武田勝頼の母親である諏訪御料人(由布姫)の墓(右側)があります。「諏訪御料人」は勝頼が高遠城主となった時、高遠に移りこの地で逝去、この寺に葬られました。
保科、諏訪御料人の墓


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